青年Aの場合


もう・・・この世にいる・・・意味が・・・ない・・・・・

この世にいる・・・意味が・・・わからない・・・・・

俺は・・・ここにいても・・・意味がないんだ・・・・・

もう・・・何もすることがないんだ・・・・・

俺には・・・・・



コンコンコンコン

螺旋階段を上る音が響く。

二階・・・三階・・・四階・・・・・

どんどん上に上がっていく。

五階・・・六階・・・七階・・・・・

だんだんと離れていく。

八階・・・九階・・・屋上・・・・・

屋上に上がりきった瞬間、夏の強風が俺を迎えてくれた。

辺りはもう赤く染まっている。

もう夕暮れの時間だ。

綺麗だ。

もう見ることができないであろう景色を俺はしっかりと脳裏に刻み付けた。

俺は屋上の端まで移動した。

金網が俺の行く手を阻む。

しかしそんなものは俺の決心を阻むものにはならなかった。

迷わず進む。

金網を乗り越えて。

更に先に・・・



1週間前。

俺は家を出た。

もう家にいる意味がないと確信したからだ。

ここは俺の居場所ではない。

そう思ったからだ。

親は世間一般が言ういわゆる大富豪だ。

金には困らない生活を当たり前のようにおくっている。

親は・・・・・

奴は金のことしか頭にない。

だから母さんも・・・・・



母さんは前から重い病気にかかっていた。

それでも母さんは一生懸命生きようとしていた。

俺や・・・あいつのために。

だが奴は一度も病院に顔を出したことがなかった。

そう・・・一度も・・・・・

母さんはいつも「父さんも忙しいのよ」っていっていた。

たしかにそうかもしれない。

いつもいつも金のために忙しかったかもしれない。

母さんはまもなく天国に行った。

奴は母さんより金を取ったんだ。

奴は・・・母さんを・・・見殺しにしたんだ・・・・・

母さんは・・・最後まで奴を信用していた。

あんな奴を・・・・・



それからの1週間は地獄だった。

奴は葬儀費用がかかることに憤怒し、保険金が手に入ることに歓喜した。

結局、金、金、金。

それが奴だ。

家では金儲けの手段の話ばかり。

母さんが死んでから奴の口から一度も母さんの名前は出てこなかった。

出てくるのは金という物質のことばかりだった。

俺はその時もう奴のことを人間だとは思っていなかった。

奴は悪魔だ。

人の姿に成り代わった悪魔だ。

そう思ったとき俺は家を飛び出していた。



それから俺はただ町をさまよっていた。

もちろん誰も俺を探しになんて来ない。

あの悪魔が俺を探すわけがなかった。

もちろんそのくらい見当がついていた。

俺にとってはそのほうが好都合だった。

もう奴と一緒になんていたくない。

奴の姿なんて見たくない。

奴のことなんて思い出したくもない。

それが俺の気持ちであり、答えだった。

俺はなるべく家から離れるように行動した。

持っていた財布の中にあったわずかな金を使わなければいけなかったことが一番辛かった。

金を使わなければいけないことが。

そうして生命を保ってきた。

しかしどんなに家から離れても奴から離れることはできなかった。

頭の中に出てくるんだ。

とくに何も考えてないとき。

寝ているとき。

移動しているとき。

食事をしているとき。

どんなときでも奴の姿が脳裏に浮かんでくる。

結局生きている限り奴から離れることはできない。

この世に生命体として存在している限り奴から離れることはできない。

奴から離れることはできないんだ。

そう気づいたとき俺は涙を流していた。

何の感情もこもっていない涙を。



次の朝、俺は奴の空間から目を覚ました。

俺は奴から離れるためにまた移動する。

決して離れられないとわかったはずなのに。

不可能なことだとわかったはずなのに。

きっとこうしていないと生きていられないからだろう。

こうしていないとこの身が持たないからだろう。

そしてなにより心が持たないからだろう。

俺はひたすら移動していた。

ただただ前に。



俺は次の日、考えた。

自分の存在意義を。

自分の存在意義・・・

自分の・・・

存在意義・・・

いくら考えても答えは出てこなかった。

いやむしろそのことが答えだったのだろう。

答えなんて出てくるはずがないのだ。

答えなんてないのだから・・・

そう思いながら俺は目指すものを睨みつけた。



俺は・・・生きている意味が・・・無い・・・・・

この世に・・・存在している・・・意味が・・・無い・・・・・

この世の・・・生命体である・・・意味が・・・無い・・・・・

ここにいたって・・・意味が無い・・・・・

俺の居場所は・・・ここじゃ・・・ない・・・・・



俺の居場所は今目の前にある『門』の先にある。

この数10メートル下にある道という『門』の先に。

夏の強風がより強くなる。

俺が次の場所へ行くのを急かしているようだ。

慌てなくても俺は行く。

俺の居場所へ。

俺がいるべき場所へ。

正直言って、それが天国か、地獄かわからない。

むしろそんなものはないのかもしれない。

しかし一つ言えることは俺の居場所はここではない、ということだ。

俺は『門』への入り口に立った。

俺は覚悟を決めることもなく『門』へと向かった。

覚悟を決める必要なんてない。

覚悟をする対象がないからだ。

俺の体は『門』へと進む。

遅かった。

なかなか『門』へはたどり着かない。

周りの景色がはっきりと見える。

高層ビル。

乗用者。

まばらにいる人。

ある人が俺に気づいたことまでわかった。

辺りは時間のペースがずれたかのようにスローモーションに見える。

「神様の俺に対する最後のこの世の手土産か?」

そう思いながらも俺はちゃくちゃくと『門』へと近づいていく。

そして俺は『門』へとたどり着いた。

『門』は俺の体ではなく心だけを通した。

体は不要だからだろう。

そんなことはどうでもいい話だが。

俺はこの世の生命体ではなくなった。

だが俺は大きな過ちを犯していた。

それはこの世からいなくなっても奴から離れることはできないという事に気がつかなかったことだ。

そう、いくら体がなくなっても心は残っていたのだ。

心は俺のすべてを残していた。

俺のすべての記憶を。

そして俺はまた奴から逃げる。

ただひたすらに。

行き先なんてわからない。

進んでいるかすらわからない。

だが逃げるしかない。

それが今の俺の存在意義だから。



屋上の夏の強風が懐かしく思えた・・・・・



End