かぜ


心地よい日差しが降り注ぐ、穏やかな陽気の昼下がり。

今学期初の授業を終えた私は、学校帰り、近所の小さな公園にあるベンチに座りながら、満開の桜を見上げていた。

2,3日前までは「8分咲き」と公表されていたのもつかの間、ここ数日暖かい日々が続いたせいか、今日の朝になって「満開」と公表されている。

この分だと散り始めるのも早そうだ。――そんな風に私が思っていることを知る由もない桜は、ただただ私に向かって綺麗な花を見せてくれている。

…とは言っても、正直そろそろこの桜の綺麗な姿も見飽き始めていた。

私がこの公園に来て、かれこれ30分。特に遊具があるわけでもない――あるとすれば砂場くらいなこの公園に30分間なにもせずにいるのは相当辛いものがある。

「……遅いなぁ」

思わず呟く。

…そう、今私は人を待っている。同じ学校に通う、同級生の男子を。

――私はこれから、彼に告白しようとしている。


     〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜


彼とは、家が近所ということもあって、家族ぐるみで幼い頃から仲良くしてきた。

一緒に遊んで、一緒に疲れて、一緒に寝る。……そんな毎日だったし、両家族で温泉旅館に泊まりに行ったこともある。

そんな感じの関係はつい最近まで続いていて、当然のように彼は私の部屋にノックもせずに入ってきたし、その逆も然り。

お互い、"異性"という意識なんて全然持っていなかった。……そのころは。


ある時、彼が同じクラスの女の子と"いい感じ"な関係になっているという噂を聞いた。

最初は、特にそのことに関心があった訳でもなく、ただ「へぇ〜」とか「そうなんだ〜」とか思うだけだったけど、彼と会って話す機会が少なくなってくると、なんとも言い表せない気持ちでいっぱいになってきた。

なんか、大事なものを失いかけているような気がして、胸が締め付けられるような気分の毎日。

――当たり前のように"帆"にはらみ船を進ませていた"風"が突然止んで、"大海"のど真ん中で立ち往生をくらっているような状態に思えた。

そのときの私には、再び"風"が吹いてくれるのを待つということしか思いつかなかった。


しかし、ただ待つだけでは一向に"風"は吹いてくれない。

彼と会う機会は減る一方だったし、話すことなど1日に1回あればいい方だった。

同じ学校に通っているんだから、会おうと思えばいつでも会えるだろうし、話すことだって出来るだろう。

…でも、私にはそれが出来なかったのだ。

次第に、私は1人"船室"にこもるようになっていった。


船は進まなくとも、時間は無残にも過ぎていく。

1学期が終わり、2学期も終わり、そして、3学期も終わりに近づいていた。

私はというと…相変わらずではあったけど、以前より彼のことを気にしなくなっていた。

……いや、気にしなくなったわけではない。むしろ、より気にするようになった。

――彼に対する私の感情が、はっきりと明確になっていたから。

でも、そのころの私は、以前のような状態に戻ることに"諦め"を感じていた。

彼は、噂の彼女と付き合い始めていた……


何がきっかけだったのかは思い出せない――それくらい、大したことのないことがきっかけだったんだけど、ある時、私はふと"船室"から出て、"甲板"へと足を踏み出してみた。

そうしたら…"風"が……"風"は、ちゃんと吹いていたんだ。

そして、よく見たら"帆"に大きな"穴"があいていた。

……これでは船が進むはずがない。

――私は、必死になって"帆"の修復作業をし始めた。


私は、思い切って彼に会って話をしてみることにした。

「彼に会ったら何を話そうか……」

そんなことを考えながら、彼のもとへと向かう。

……こんなにウキウキした気持ちになったのは久しぶりだった。

――体中に"風"を感じながら走る。


それなりに意気込んで彼に会ったんだけど、結局たいしたことは話さなかった。

ただ挨拶をして、「もうすぐ3学期も終わりだね」なんていうことを話しただけ。

…でも、それだけでも彼と話すことが出来たのがすごく嬉しかった。

彼も、何かホッとしたような表情を浮かべながら話をしてくれた。……きっと、彼は私のことを心配してくれていたんだと思う。

――"帆"の修復作業は、終わりを迎えようとしていた。


3学期の終業式が行われた日、私は彼に1つのお願いをした。

「新学期を迎えたら、いつでもいいから1度1人で私に会いに来てくれない?」

彼は、とても不思議そうな顔をしていたけど、了承してくれた。

――緊張からの開放感を感じながら、"帆"の修復作業は終了した。


     〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜


見飽き始めてはいるものの、特に他に見るものもないから、仕方なしに見ていた満開の桜。

でも、過去のことを思い出していたら、「こいつも"風"を受けて生きてるんだなぁ」なんて思えてきた。

"季節"という"風の流れ"を、体中で受け取り、緑々とした葉をつけたり、新たな生命を宿した実を生らせたり、葉や実を落としてじっと寒さに耐えたり、そして今現在のように、満開の花を咲かせたり……

頭の中でそんな季節の回想シーンを流していると、ようやく彼が姿をあらわした。

私は立ち上がって、彼の方へと向かう。

「わりぃ、ちょっと遅くなった」

「ちょっと?…ちょっとじゃないでしょ〜」

……そんな、ちょっとした会話が生まれることが、なんか嬉しかった。

「……で、話って何?」

「あ…あのね、私…その……」

「何だよ、何か言いにくいことなのか?」

『雰囲気で察しろよ!』って言い出しそうになったけど、グッとこらえる。

「その…なんか言いづらいんだけど……ずっと、好きだったの」

顔を歪めながら、『はぁ?』とかいう言葉が返ってくるかと思ってたけど、そういうことはなく、むしろ、これまでに見たことのないような優しい笑顔での返答が帰ってきた。

「そうか……ありがとう。でも…お前も知ってると思うけど、俺、今付き合ってるやつがいるから……」

……まぁ、当然の結果ではあった。

私は大きく息を吐いて緊張から脱し、なにか心地のいいものを感じながら、

「うん、わかってる。何ていうかな…その、自分にけじめをつけたかったんだ〜。ほら、つい最近まで全然話せずにいたでしょ?だから、話せるようになってすっごく嬉しかったの。でも…でもね、その嬉しさに浸っているだけじゃダメだと思ったの。……先へ進むことが出来ないんじゃないかって思ったのよ」

次から次へと、驚くほど言葉が出てくる。ずっと溜め込んでいたものが溢れ出してるみたい。

「あのさ……俺…気休めとかじゃなくて、お前とはこれからもずっと、いい友達でいたいと思ってる。だから、その……」

…なんとなく彼が言いたいことは察しがついた。だから、精一杯の笑顔でこう答えた。

「大丈夫。もう、話さなくなったりしないから。安心して自分の道を進んで!」

我ながら、中々の演技力だと思った。

…別に、嘘を言ったわけではない。ただ、うわべは笑顔でも、本当は泣きたくてしょうがない状態なんだ。

「そっか…ありがとう。それと…ゴメン。……それじゃあ俺……行くわ!」

――爽やかな"風"が、私の髪の毛を遊ばせながら真横を通り過ぎていった。


「……ふぅ。これから頑張らなきゃな〜っと!」

上を向いて、零れそうなものを抑えながら呟く。

満開の桜が、すでにぼやけて見えている。

そっと手で拭っていると、突然、一瞬だが強い風が公園を通り過ぎていった。

一片の花びらが、空中をひらひらと舞い落ちる。それを見た私は、

「……また桜に先を越されちゃったかぁ。…でも、これからの私は今までとは違うからね!」

そう桜に言い放つと、私はゆっくりと歩き出す。

――新しい"風"が吹き始め、修理したての"帆"にはらんで船はゆっくりと、でも確実に"大海"を進み始めた。