魍魎降臨録
弐〜怪奇と病みし心あり〜
執筆完了日 06/05/7 | 公開日 06/05/07
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獅憧は、吶喊するかのように大きな唸り声を上げながら、アスファルトの大地を蹴った。ガリッという音の後に残ったのは、足爪によって綺麗に削られた跡。
ものすごく機敏な動き。ただ目標に向かって突進するわけではなく、左右へのステップを入れながら、着実に相手との間合いを詰めている。
それは、明らかに従来の四足動物では真似することの出来ない動きだった。驚異的なスピードを保ちながら、左右へのステップを入れる。その行動を実現するためには、それ相応の脚力が必要だろう。
――だが、獅憧はその行動をいとも容易くやってのけている。外見のことを抜かしても、それだけで獅憧が魍魎である証明と言える。
ずば抜けた筋力を持つ。――それは、魍魎の一つの特徴だ。
「ちっ、ちょこまかとうざってぇやつだな」
達樹は言いながら構えていた。両腕を前面に出したファイティング・ポーズ。右手にはめた小手が、仄かに青く発光している。
――それは、達樹の家系に伝わる『封魔の具』。幻ですら討ち滅ぼす力を持つという意味で付けられた名は、『幻討小手』。込められた封魔の力を、拳と共に撃ち出すことができる、近・中距離向きの武具だ。
達樹は着実に向かってくる獅憧に、出端を挫く一発を浴びせ掛けようと、右ストレートの如く、思いきり右拳を獅憧に向けて突き出した。
「くらいやがれっ!!」
拳から、いや、正確に言えば幻討小手から、青白い楕円形の光が矢のように飛び出していた。――幻討小手から放たれた、封魔の力の集合体。達樹はそれに、技として一つの名前を付けていた。
――幻討流技・飛蒼。
まさに猪突が如く、一直線に獅憧へと向かっていく。しかし、
「なにっ!?」
獅憧は全く怯まなかった。それどころか、まっすぐに向かっていっている。速度を保ちながら進み、そして跳躍。
幻討流技・飛蒼は、いとも容易く避けられた。隔離の結界術で作られた結界壁に到達すると、ドッという鈍い音と共に、跡形もなく消滅する。
あまりにもあっさりとかわされ、達樹は一瞬狼狽するが、すぐさま次の態勢に移る。
「ったく……なら、こいつならどうだっ!」
達樹は向かってくる獅憧に対して、軽く屈む態勢をとる。そして、獅憧が首から上を丸ごと噛み千切ろうとばかりに牙を剥き出した瞬間、動きを見せた。
封魔の力を溜め込んだ右拳を、思いっきり突き上げていた。渾身のアッパーは見事に獅憧の下顎を直撃し、その身体が宙に舞う。
「っし! 手ごたえありっ!!」
達樹はその瞬間、渾身の一撃が獅憧にクリーンヒットしたことを自覚した。間違いなく、相応のダメージを与えることが出来たと。
――――しかし、
「なっ!?」
達樹は宙に舞った獅憧の動きを見たのと同時に、思わずそんな声を漏らしてしまう。彼の目の前で獅憧は、軽快な動きで体勢を整えていた。達樹のアッパーの反動を上手く利用した、猛獣とは思えないような身のこなし。
獅憧はそんな驚きを見せている達樹の隙を見逃さなかった。地を覆うコンクリートを削りながら、低い唸り声と共に突進する。そのスピードに、達樹は対応することが出来ない。
「バカッ! 何油断してるのよ!!」
そんな達樹の窮地を救ったのは、鋭い眼光を獅憧に向けている真由美だった。棒状の封魔の具『邪砕棍』で、獅憧の側頭部を強突していたのだ。
獅憧は真由美の邪砕棍による一撃で横転した。鱗の胴体が、コンクリートに擦れて鈍い音を放つ。
「達樹、『アレ』いくわよ」
真由美は呻き声を上げながら立ち上がろうとしている獅憧を鋭く見やりながら、後方に居る達樹にそう告げる。達樹は少し悔しそうな表情を見せながらも、素直に頷く。
真由美と達樹が意思疎通を終えるのとほぼ同時に、獅憧がゆっくりと立ち上がる。白い毛並みは薄汚れているが、硬い鱗で覆われた胴体にダメージは窺えない。だが、邪砕棍による側頭部への一撃は確かなダメージを与えていたようで、獅憧は立ち上がりながらも足元がおぼつかない。
そんな獅憧に対して、真由美はゆっくりと近づきながら片手を上げて挑発する。
「ほ〜ら、封魔師に負けっぱなしの魍魎ちゃん。逃げも隠れもしないから飛び掛ってきなさいよ!」
「グルルルルォォォッッ!!」
獅憧が真由美の言葉を理解しているかは不明だが、挑発されているということを感じ取ることは出来たらしい。怒りをあらわに、素早く突進して牙を向ける。
しかし真由美が獅憧の動きに臆することは無かった。むしろ余裕の笑みすら窺える。邪砕棍をコンクリートの地面に突き立てた真由美は、獅憧が目前まで迫ってくるのに合わせて、見事に跳躍していた。
まるで、それは棒高跳びの様だった。棒高跳び競技用の棒とは違ってしなることはないが、上手く邪砕棍を支柱として使って獅憧の突進をかわしたのだ。
そして、突進を避けられた獅憧に待っていたのは、眼前からもの凄いスピードで迫ってくる幻討流技・飛蒼。――真由美が獅憧の突進をかわす直前に達樹が放ったものだ。
それまで真由美の姿しか視界に映っていなかった獅憧にとって、幻討流技・飛蒼の存在は、まさに突如現れた想定外の外敵。獅憧は幻討流技・飛蒼をさけることが出来ず、顔面に直撃を食らう。
鈍い音が響き渡り、そして血肉が焼け焦げたかのような異臭が隔離の結界術によって作られた空間内を駆け巡る。獅憧は顔面の白毛を失い、ただれ、悲鳴を上げながらのた打ち回る。
その姿、異臭に顔を歪めながらも、真由美はとどめをささんとばかりに邪砕棍を獅憧に向け――
「――随分と好き勝手やってくれていますが、私のことを忘れてもらっては困りますね」
声は突然、辺りの空気を塗り替えるかのように聞こえてきた。いや、聞こえてきたのは声だけではない。妖しく揺らめく、業火の音――。
「くらいなさい――思念の炎術」
それは、これまで静かに成り行きを見守ってきた玲二による符術だった。玲二が持つ術符が紫炎を放ち、予測できない動きで真由美を襲い掛かる。
真由美は避けることが出来ずに、紫炎の直撃を受けていた。制服の肩部が焼け焦げ、地肌が外気に露出する。しかし、その地肌にはそれほど外傷は窺えなかった。せいぜい、仄かに赤みを帯びている程度だ。
なぜ紫炎の直撃を受けて外傷を受けていないのか。――それは、封魔の具による見えない防護の力が、彼女を常に覆っているから。そのため、衣服は焼け焦げても、身体そのものへのダメージは軽減されているのだ。
とはいえ、その防護の力は完全なものではない。防護の力によってダメージを軽減すればするほど、精神的なダメージ――すなわち、封魔の力がダメージを受けてしまうのである。
封魔師にとって、封魔の力は命の源と言っても過言ではないもの。もちろん、いったんダメージを受けてしまったら回復することが出来ないということはないが、少なくとも戦闘中に回復させるには、それ相応の術者の協力が必要となる。
真由美に外傷はないが、その分封魔の力にダメージを受けてしまっている。その事実は、真由美の表情を窺えば定かとなる。
――額からは汗が滲み、苦痛の表情を浮かべている真由美の表情を窺えば。
真由美のその表情に、玲二は不敵な笑みを浮かべた。ゆっくりと獅憧の元へと近づきながら、ここぞとばかりに新たな術符を取り出す。
達樹が慌てて真由美の前へと移り構えるが、符術師にとって陣形はさほど関係ない。狙おうと思えば、いくらでも背後の真由美を狙うことが出来る。
玲二は妖しく微笑みながら、新たな符術を完成させていた。再び玲二の手で燃え上がる術符。
しかし、今度は紫炎ではなく真紅の炎。大きさも、先ほどの倍近くある。どうやら玲二は止めをさしにかかっているようだ。
強く揺らめく炎を操り、玲二は燃え盛る術符を放り投げた。
「さあ、遊びはここまでです。せいぜい悶え苦しみながら息絶えてください。美しい赤を見ることが出来ないのが残念ですが、いた仕方ありません。それでは、さようなら――業火の炎術」
大きな火球と化した術符は、勢い良く達樹と真由美のもとへと向かっていた。達樹はともかく、ダメージを受けている真由美がその炎を避けることは難しいだろう。
悔しさからか、眉間にしわを寄せて身を守る体勢をとる真由美。そんな真由美を守ろうと、弁慶の如く仁王立ちしている達樹。
――しかし、そんな二人のもとに火球が届くことは無かった。
「あんたのことは兎も角、俺のことを忘れてもらっちゃ困るんだよ、オジサン」
鋭い一閃が、火球をいとも容易く消滅させていた。霧断太刀を遊ばせながら、良が吐き捨てる。
良は玲二に目を向けながら、面白く無さそうに呟く。
「――あぁ、あんたの言ったとおり、遊びは終わりだ。……とっとと消えてもらおうか」
良は漆黒の瞳を閉じ、霧断太刀の刀身を玲二に向けた。――霧断太刀が、ゆらりと紅く光りだしていた。