魍魎降臨録
弐〜怪奇と病みし心あり〜
執筆完了日 05/02/14 | 公開日 05/03/20
- 2 -
魍魎の姿を確認すると、良と達樹と真由美の視線は、より鋭いものになった。改めて、芹奈を守る陣形を執る。
青年は、そんな良たちの様子に、銀の長髪を靡かせながら不敵な笑みを返していた。黒いコートを羽織り直して、話しだす。
「それでは早速、自己紹介をさせていただきます。……私は、芳賀玲二といいます。――お見知りおきを。そして……彼は獅憧といいます。言わなくてもわかると思いますが……魍魎です」
青年――玲二は言いながら、魍魎――獅憧の胴体に触れていた。白い毛並みに覆われている中で、唯一、爬虫類の鱗のようなもので覆われている胴体は、空を茜色に染めている太陽の日差しによって、妖しい光沢を見せている。
獅憧は玲二を見ることなく、ただ眼前の良たちに威圧感の籠った視線を向けていた。低い唸り声を上げながらも、必死に跳びかかろうとする衝動を抑えている様子。すでに臨戦態勢は万全なようだ。
「……………」
良は焦っていた。
今までこんな、人通りがあってもおかしくない場所に魍魎が現れることはなかった。しかし、現実に今、目の前に魍魎は存在している。
しかも、その魍魎と共にいるのは間違いなく人間。これまでには全く無かったケースだ。
良は態勢を保ちながら、平静を装って話す。
「名前なんて、どうだっていいです。……あなたは、いったい何者なんですか? それに……この空間……」
「ふふ、そうでしたね。まだ、そちらのお嬢さんの質問に答えていませんでした。……そうですねぇ。これを見れば、ある程度見当が付くんじゃないですかね?」
玲二はそう言うと、コートの内側から数枚の紙切れを取り出した。その紙は朽葉色で、どれも同寸の長方形。そして、何やら文字のようなものが、赤と黒で記されている。
「術符……符術師ね。ということは、隔離の結界術……」
反応したのは真由美だった。厳しい表情を玲二に向けながら、焦りを隠して言う。
「ほぅ、よくご存知で。結界術のことまでご存知とは、さすが。……封魔師の名も伊達じゃ無いみたいですね」
玲二は真由美の返答に、満足げに頷いていた。不敵な笑みが、より威圧感を増幅させる。
――――符術師。それは、玲二が持っている紙切れ――『術符』を用いて、様々な『術』を生み出す力を持つ者のこと。術符には、様々な力を宿した術文が記されていて、それを用いて、符術師は『符術』を発生させることができるのである。
真由美が言った『隔離の結界術』も、この符術の一つ。対象を、術符で囲まれた空間の中に隔離する符術で、対象以外のものは、その空間に隔離されることが無い。つまり、隔離の結界術で出来た空間は、周囲の景色は同じでも全くの別空間になっているのだ。
芹奈の目の前で、駅内へと向かう学生が消えたように見えたのは、眼前の学生が消えたわけではなく、芹奈自身が隔離の結界術で出来た空間に隔離されたからだったのである。
「……で、符術師のあなたが、いったい何で魍魎と一緒にご登場なわけ?」
真由美は訝しげに問う。人間と魍魎が共に行動。――その意図が、全くわからないでいた。
また、それ以前に魍魎が人間との行動を拒まないでいること自体、考えにくいことだというのに。
「それはまぁ、色々とあるんですよ、理由が。……まぁ、私は所詮『上』の命令で動いているだけですから、詳しいことは存じ上げませんよ」
「……上?」
「それに関しては答え兼ねますね。自分の身を滅ぼす行為を執るほど、私は愚かではない。……ただ、私は美しい光景をこの目に刻み付けたいだけですから」
玲二は卑しい笑みを浮かべる。
「――人が恐怖し、怯え、絶望の淵に落ちる姿。……そして、最も美しい赤を持つ、血液の噴き出る光景をね」
「薄気味悪いやつ……ま、やる気満々ってことか」
達樹は睨みを利かせながらそう言い、身構える。良と真由美も同様。芹奈を守る陣形は、崩れていない。
だが、いったいどうやって玲二と獅憧に対するのだろうか。彼らは今、武具を装備していない。
玲二は、彼らの様子を見ながら、達樹に言葉を返す。
「えぇ、もちろん。……ただ、丸腰の相手とやりあっても何にも面白くありません。……そちらも、持つべきものを持ってください」
「……ちっ。その余裕、気にくわねぇな。……後で後悔しても知らねぇからな」
口ではそう言いながらも、達樹は内心、かなりホッとしていた。魍魎相手に丸腰で挑んでも、勝機はこれっぽっちもない。しかも、隔離の結界術で隔離されている今、逃げることも不可能。玲二があんな余裕を見せず問答無用に仕掛けてきていたら、すでに全員この世には居ないだろう。
良と達樹と真由美は、揃って自身のカバンに手を入れていた。そして、求めていたものを掴むと、素早く取り出して身構える。彼らが取り出したもの――それは、言うまでも無く『封魔の具』だ。
良は、芹奈も見たことのある刀――霧断太刀を。達樹は、右手にはめた革のような物で出来た小手を。真由美は、何やら金属で出来た棒のような物を、それぞれ取り出していた。
――周囲に、これまでよりも増した緊迫感が漂い始めた。
芹奈は良たちの背後に居ながら、ただ玲二や獅憧の姿を見ていた。必死に、湧き上がってくる恐怖心と戦いながら、自身が執るべき行動を思案する。
もちろん、今の芹奈に出来ることは無い。ただ、そのことはわかっていても、何かをしなければならないのではないかという衝動が、芹奈の中で渦巻いていた。
まだ陽が落ちていない時間帯。しかも駅前で魍魎に襲われることになるとは、全く思ってもみない展開。――そのことに対するショックはある。でも、そのショックに押し潰されているわけにはいかないのだ。
「河瀬君、私はどうすれば……」
芹奈は目の前にいる良に、思わずそう質問していた。良が今、質問に答えていられる状態では無いということはわかっていた。でも、そんな良たちのために、何かしたかった。
良は芹奈の言葉を聞くと、軽く一瞥してから答える。
「――『おとなしく俺に守られろ』と言ったはずだ。……余計なことは考えなくていい」
芹奈は表情を固まらせていた。そして、過去のことを想起していた。
良の声に、感情は込められていなかった。そして、一瞬見せたその双眸は――漆黒。
間違いなく『あの日』の良が、そこに居た。――やはり、『彼』は良だったのだ。
だが、これはいったいどういうことなのだろうか。目の前に居る良は、さっきまでとは別人のような人格に変貌している。
――そう、霧断太刀を持つ前までとは。
芹奈はそのことに気付いていた。そして、ある一つの推測を見出していた。
もしかしたら、封魔の具を持つことで、人格に何らかの変化が起こるのではないかということを。
芹奈は玲二や獅憧の動きに注意しながら、チラッと横目で両隣に居る達樹と真由美の姿を確認する。すると、人格の変化を確認することは出来ないが、普段とは明らかに異なる部分を発見することに。
――達樹と真由美、二人とも瞳の色が変化していたのだ。
普段の二人の瞳の色は、一般的な日本人が持つ黒。――しかし、今は違う。達樹の瞳は深紫、真由美の瞳は深紅に、それぞれ変化していた。
明らかに尋常ではないことだが、それでも芹奈は、そのことに対して驚きを見せることは無かった。もうすでに、この程度のことでは驚かない体質になってしまっているのか、もしくは、この緊迫感の漂う空間の中では驚きもかき消されてしまうのだろうか。
どちらにしても、今の芹奈に出来ることは一つしかない。
芹奈は三人の『封魔師』たちに囲まれながら、スッと目を閉じ両手を組む。そして、凛とした空気を全身で感じながら、震えたがる身体を抑えて神に祈った。
――――どうか。……どうか、皆を守ってください。
その願いに反するかのように、獅憧の足が地面を蹴っていた。
――辺りの空気が、一瞬にして鋭く動き出した。