魍魎降臨録
弐〜怪奇と病みし心あり〜
執筆完了日 04/05/08 | 公開日 05/01/03
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空は茜色に染まり、辺りを朱に彩っていた。
時期外れの『赤とんぼ』が街中に流れ、太陽が沈むのを知らせてくれている。
駅前へと続く通り。その歩道を、耶宵学園高等学校の制服を着た四人組が、和やかに談笑しながら駅前に向かって歩いていた。
――友引芹奈、河瀬良、神尾達樹、白峰真由美の四人だ。
芹奈が魍魎や封魔師のこと、そして自分自身のことを知ってから、早三日。良たちとは、すでに遠慮なく話し合える仲になっていた。耶宵学園とは別の中学校から来た芹奈にとって、高校生活は順調なスタートを切った――はずなのだが。
「………はぁ。それにしても河瀬君と神尾君のせいで、かなりクラスの女子に嫌われちゃってるんだけど」
そんな言葉を放ったのは芹奈。癖の無い黒髪を手櫛で梳きながら、ため息を吐いて俯いている。
「はぁ? 俺、何かマズいことでもしたか?」
達樹は全くその原因を見出せずにいた。カバンを持った両手で後頭部を支え、軽く空を見上げながら、訝しげに言う。
良も達樹と同じく原因がわからないようで、達樹に向かって小さく頷く。
だが、真由美はその原因に気付いたようだ。
「あっ、それってもしかして、妬まれてるってことじゃない? 私も中学校の時そうだったし」
「そうなの。……やっぱり白峰さんも同じ経験してたんだ」
「………どういうこと?」
良は二人の会話を聞いても、未だに事を理解していなかった。困った様子でそんな言葉を返す。
すると、真由美が呆れた様子で言葉を紡ぎだした。
「はぁ……。本当にわかってないの? 良ちゃんも……不本意ながら達樹も、学校の女子たちにとってはアイドルみたいなものなのよ。良ちゃんは誰が見たって美少年だし、達樹もまぁ……カッコイイ部類に入るわけよ。そんなアイドルたちに常に囲まれてる友引さんは、いつも嫉妬の目で見られてるってわけ。……ま、私はそういうの全然気にしないからいいんだけどさ」
――そう、良も達樹も、耶宵学園中学校に通っていたときから女子生徒たちの注目の的になっていた。
真由美が言ったとおり、良はかなりの美少年。スラッとした体躯に整った顔立ち。そして、常日頃見せる朗らかな笑顔は、女子生徒たちを悩殺し続けている。幼さを残す表情は、母性本能をくすぐって止まないらしい。
達樹も良とタイプは違うが、常に女子生徒たちの目を惹いている。スポーツの似合うガッシリとした体躯で、しかも長身。体育の授業で女子生徒たちの目を釘付けにしていることは、周知の事実だ。
――だが、本人たちはそのことに全く気付いていない。
――これには理由がある。それは、良と達樹、それぞれのファンクラブが存在しているからだ。
ファンクラブは、会誌や生写真などのグッズを手に入れることができる、ファンなら入会必至なもの。だが反面、ファンクラブにはそれぞれ規約というものがあり、その規約によって様々なことが制限されているのだ。
『河瀬良ファンクラブ』の規約から例を挙げると、『我らが良様の私生活を乱す行動は、けして取ってはならない。また、そういった行動を取る者を確認した場合は、直ちにそれを阻止すること』『我らの良様に、単独で接触してはならない。ただし、偶発的な場合を除く』『我らが良様に、全会員の了承を得ず告白することは、断じてあってはならない』――などだ。『神尾達樹ファンクラブ』に関しても、同じような規約がある。
いくら規約があろうとも、ファンクラブは中々の人気があり、中・高隔たりなく結構な数の会員が存在している。そのために、女子生徒がむやみに接近してくることがなく、本人たちは気付かないのだ。
「そ、そうなの? じゃあ女子にそういうことしないように言わないと――」
「駄目だって! そんなことしたら逆効果だよ。余計に友引さんの立場が悪くなっちゃうって」
良はやっぱり事態を理解していないようだ。
「あっ、でも、別に何かされてるわけじゃないから大丈夫だよ」
芹奈は良の申し訳なさそうな表情を見て、慌ててそう返した。真由美が言ったとおり、良が女子生徒を止めにかかったりしたら、それこそ逆効果だ。それに、なにより良に心配を掛けさせたくなかった。
良の表情は相変わらずだったが、達樹は何だか嬉しそうな表情をしていた。そっと良に近づき、呟く。
「俺たちって結構モテるみたいだな。ここは一発、写真集でも出して金儲けでもするか? ジャニーズみたいに上半身裸で、抱き合ってる写真でも載せれば、確実に売れそうだぞ」
それを聞いた良は、瞬時に顔面蒼白になっていく。
「な、何バカなこと言ってるんだよ達樹! 冗談にしてもたちが悪すぎるよ」
「そうか? 俺は結構本気だぞ。……キスシーンを入れてもいいかもしれねぇな。こんな感じに――」
達樹は良の肩に腕を回し、ゆっくりと唇を近づけていく。
「ちょ、ちょっと達樹! や、やめろって!!」
良は慌てて回避しようとするが、達樹の力は強く、中々逃れることができない。
せめてもの抵抗として、目と口をきつく閉じる。――だが、もちろん達樹の唇が良に触れることは無い。
「バ〜カ。冗談だっての。本気にすんじゃね〜よ。……全く、本当に良には冗談が通じね――って、芹奈ちゃんも同じタイプか」
芹奈は戯れる達樹と、必死に逃れようとする良を見て、その顔を赤らめていた。達樹の視線に気付くと、より顔を紅潮させる。
芹奈が達樹の言葉を信じきっていたのは言うまでも無い。――そして、本気で『写真集、売れるだろうなぁ』と思っていたことも。
「良ちゃんも友引さんも、本当にそういうのに弱いよね〜。すぐに顔、赤くなるし」
「ホント、小・中学生じゃあるまいし、免疫無さすぎだっつ〜の」
真由美と達樹はそう言って笑っていたが、芹奈と良は、笑って誤魔化せる余裕など持ち合わせていないようだ。
帰宅時であるにもかかわらず、周囲にそれほど人は存在していなかった。耶宵学園の学生がちらほらと居る程度だ。
都心から離れているためか、駅前の通りに近代的な建物は少ない。ビルと呼べる建物は一つ二つ程度しかなく、在るのはコンビニや数軒の民家。
そのことをふまえれば、通りに居る学生たちの数が少ないのも頷ける。若者が好むショッピングスポットやゲームセンターは、この通りに存在しないのだから。
校内で駄弁っているか、とっとと電車で帰宅、もしくは遊べる場所へ移動していると考えるのが妥当だろう。
芹奈たち四人の歩みは、すでに駅前のロータリーにまで差し掛かっていた。本来ならばバスやタクシーが数台待機しているはずなのだが、今はタクシーが一・二台待機しているだけ。バスはともかくとして、タクシーが一・二台しか待機していないのは、普段の光景と比べると珍しい状態だ。
まぁ、それだけ客がいたということだから、不況の続くタクシー業界にとっては、有難いことだろうが。
すでに客を乗せて行ってしまった後だからか、バス停の前にも、タクシー乗り場の前にも、それを待つ人は存在していなかった。駅前であるにもかかわらず、やけに閑散とした光景。
「……何か今日は、やけに人が少ないね」
芹奈は、思わず呟く。確認できるのは、前方に居る、駅内へと向かっている学生くらいだ。
「そ〜だな〜。……ま、結構田舎だし、元からそんなに人は居ないけど――」
達樹はまったく気にかからない様子で、微笑みながら冗談めいた言葉を返す。
――――だが、その笑みは一瞬にして真剣な表情へと変化した。
「えっ!?」
芹奈は驚悸しながら声を発すが、その対象は達樹ではなかった。視線は前方に向いていた。駅内へと向かっている学生が――『居た』場所に。
な、何で!?
そこに、駅内へと向かう学生の姿は見当たらなかった。学生はゆっくりと歩いていたし、何より芹奈の視線はずっとその学生を捕らえていたから、けして、すでに駅内へ入ってしまったというわけではないだろう。
――しかし、その姿はどこにも無い。
「ど、どういうこと……」
明らかに異常な状態。前方に居た学生が瞬間移動でもしたというのならば、話は簡単だ。だが、もちろんそんなことは起こり得ない。――まぁ、そんなことを言ってしまったら、魍魎や封魔師も同じようなものかもしれないが。
芹奈が意識せずに口にした疑問に、良が真剣な面持ちで静かに答えだす。
「友引さん……気をつけて。……この空間、どこかおかしい」
良は言いながら、芹奈の前方に移動。そして、達樹と真由美も、芹奈を囲むような位置に移動する。
芹奈は困惑しながらも、良の言葉を聞いて、周囲の様子を注意深く観察した。
――僅かにだが、辺りの光景が波打っているように見える。
「何これ……」
芹奈にはそうとしか言えなかった。ロータリーの周りにある、様々なものが波打って見えた。前方にある駅も、遠くに見えるビルも、そして、頭上にある空も。
しかし、波打って見えたのは数秒のこと。しばらくすると、いつもの駅前の景色に戻る。
だが、消えた学生の姿は、未だに現れない。――まだ、明らかに駅前の『姿』には戻っていなかった。
――芹奈がいくら辺りを見渡しても、全く人の姿を確認することが出来なかったのだ。
「教えてあげましょうか? ……可愛いお嬢さん」
声はまさに、ちょうど芹奈が視線を向けていた道路――芹奈たちが歩いてきた通りの方から聞こえてきた。
此処に居る誰の声でもない、第三者の声。
しかし、先程確認したとおり、そこには誰の姿も無い。にもかかわらず、確実に声は聞こえてきた。
「誰だっ!!」
達樹が叫ぶ。
依然、声が聞こえた方向には、誰も存在していない。――だが、異変は起きた。
そこに突然、一人の青年が現れた――いや、『入ってきた』のだ。
そう表現するのが適切な現れ方だった。波紋のようなものを発生させながら、まるで『壁』をすり抜けているかの様に現れた青年は、妖しい笑みを浮かべながら口を開く。
「初対面の人に向かって『誰だ』とは、礼儀がなっていませんねぇ。近頃の高校生は皆そうなんですか?」
「御託はいい! てめぇは何者だって聞いてるんだよっ!!」
達樹は芹奈を囲む体勢を保ちながら叫ぶ。
「まぁまぁ。そういきり立たないで下さい。……焦らなくても、ちゃんと自己紹介させていただきますよ。――彼と一緒にね」
青年は、言いながら背後を向いていた。そして、何かを呼ぶ様な仕草を見せる。――すると、そこからまた何かが入ってきた。
青年の身長とさほど変わり無い体長の、四足歩行の生物。
――そこに現れたのは、間違いなく魍魎だった。