魍魎降臨録
壱〜此処に集いし絆あり〜
執筆完了日 04/04/30 | 公開日 04/10/02
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「それじゃあ、今日はこれで終わりにします。……明日から授業が始まるから、教科書を忘れないようにね」
耶宵学園高等学校1−Dの担任である柚岡梨緒は、校内に響くチャイムを聞き取るとそう言ってホームルームを切り上げた。薄く口紅で彩られた口から発せられた声は、女性にしては低いアルト。
今日はまだ授業が始まっていないため、ホームルームが始まるのも早かった。ホームルームが終わっても、まだ時刻は正午をようやく過ぎた頃だ。
学生たちは梨緒の言葉を聞くと、何かに導かれるかのように教室の外へと出て行く。だが、そんな学生たちの中で、教室内に残っている者たちがいた。
――そう、友引芹奈、河瀬良、神尾達樹、白峰真由美の四人だ。
ホームルーム中、梨緒の声が芹奈にまともに届くことはほとんど無かった。芹奈の頭に常に渦巻いている事象。――それが、芹奈の中枢を支配していた。
芹奈はこの時をずっと待っていた。良たちのこと、『異形』のこと。そして、自分のことを聞き出すために。
だが、芹奈のその思いはまだ達成されない。――まだ、教壇の上に梨緒が存在しているからだ。
梨緒は一向に教室から去る様子を見せない。それどころか、四人固まって居る最後列の窓際に歩み寄ってきている。そして、良の真横まで来ると真剣な面持ちで話し出した。
「良……この子なの?」
「はい。……多分、間違いありません」
「説明はまだ……」
「えぇ。……まだです」
芹奈は再び大きな不安感に苛まれていた。達樹に続き、梨緒までもが自分にスポットを当てた疑問を口にしたからだろう。そして、梨緒も一連のことに関係しているという事実の発覚。
梨緒は良の返事を聞くと、会話の対象を芹奈へと移す。
「友引さん……だったわね」
「………はい」
「これから、あなたに色々と説明をしなければならないわ。……聞きたいことが山ほどあるでしょうし」
「はい……」
「いきなり全てを信じて欲しいとは言わないわ。……ただ、できれば現実として受けとめて欲しい」
「大丈夫です。……きっと、信じないわけにはいかない話なんだと思いますから」
芹奈は自分なりに全てを受けとめる決意を固めていた。実際に『異形』に襲われるという体験をしてしまった以上、どんな内容が待ち受けていようとも、素直に受け止めるしかないと感じていたのだ。そして、それは確実に真実なのだと。
「ありがとう。……じゃあ、まずは『魍魎』のことからかしらね」
「魍魎……あの『異形』のことですか?」
「そうよ。あなたが会った異形のことを、私たちは魍魎と呼んでいるわ。……言葉くらいは聞いたことがあるでしょ?」
「……はい。化け物とか怪物とかいう意味ですよね。……魑魅魍魎っていう言葉もありますし。……でも、魍魎なんて現実に存在し得るんですか? ……実際に会っちゃいましたけど」
「……そう思うのが普通よね。でも、あなたがその目で確認したように、魍魎はこの現実に存在している。いや……そう言うのはちょっと語弊があるかもしれないわね」
梨緒はそう言うと、着ていたスーツの内ポケットから文庫サイズの書物を取り出した。その表紙は色あせ、書かれてある文字も掠れている。
「あの魍魎は元々現実に存在していたわけじゃなくて、何者かがこの現実に『降臨』させたものなのよ」
「………降臨?」
「……そう。召喚と言ってもいいかもしれないわね」
「そんなこと………」
「――ありえるのよ」
梨緒は先程取り出した書物を芹奈の卓上に置き、ゆっくりとそのページを捲っていく。――だが、その内容は白紙だった。
芹奈はその書物を不思議そうに見つめていたが、あるページに差し掛かったとき、その表情は一変する。
うそっ!? ……なん……で?
――延々続くと思われた白紙のページから、色鮮やかなページへと変化していた。そこに描かれていたのは、紛れも無くあの『魍魎』の姿だったのだ。――芹奈にとって、忘れようにも忘れられないであろう『魍魎』の姿が。
「あなたが会った魍魎はこれね」
「……はい。……でも、何で――」
芹奈は今にも飛び出してきそうなほどリアルに描かれた『魍魎』を見ながら、か細い声で呟く。忌まわしい記憶が、否が応にも芹奈の脳裏に甦る。
「これは、魍魎が『昇天』した姿なの」
「昇天?」
「そう。……降臨と昇天のことを説明するには、まずこの書物のことを説明しなければならないわ」
梨緒は言いながら書物を閉じ、サッと持ち上げて芹奈の眼前に向ける。芹奈はその書物の表紙を見ると、読みにくそうにしながらも書かれている文字を読み上げた。
「……『魍魎降臨録』」
「……魍魎降臨録には三つの種類があって、それぞれ書かれている内容が違うの。この書物は『昇天の書』と呼ばれるもので、魍魎が消滅するとこの昇天の書の中に封印――昇天される仕組みになっているわ。あと二つ、『降臨の書』と『伝説の書』という魍魎降臨録がある。降臨の書は、文字通り魍魎を召喚――降臨させるための書物。そして伝説の書には、過去にあった『封魔師』と魍魎の争いについて記されている――」
「――えっと……つまりは今、何が起こってるんですか?」
芹奈は聞いたことも無い単語の続出に困惑するが、その表情は真剣そのものだった。だが、それに対する梨緒の表情は朗らかだ。
「良い質問ね。……そもそも、さっき言った三つの魍魎降臨録はある封魔師の家系によって、ずっと厳重に保管されていたの。……あっ、封魔師っていうのは魍魎みたいな『邪悪なるもの』を祓う人ね」
「はい……」
もはや芹奈に『封魔師の存在を疑う』という考えは生まれもしなかった。
「……でも、何者かがその家系の屋敷に忍び込み、降臨の書を奪っていったの。――魍魎が現実に姿を現したのは、それからよ」
「――ということは、その何者かが降臨の書を使って魍魎を降臨させている……っていうことですか?」
「……ご名答。その後、更なる被害を避けるために魍魎降臨録はそれぞれ別の封魔師の家系へと分けられたわ」
「その『何者か』の正体はわかってないんですか?」
「残念ながら……ね。……ただ、それに関して一つだけわかることがあるわ。――その何者かが、それなりの『力』を持っているということは」
「力……ですか」
「えぇ。魍魎を降臨させるには、それ相応の力が必要だと推測されるわ。その力がどういったものなのかはわからない。……でも、少なくとも降臨の書を奪った何者かは、その意味を知ってる上で降臨の書を奪ったはず。現に、魍魎は降臨しているのだから――」
梨緒はその表情を曇らせていた。――だが、その声は通っている。認めたくない事実を口にしなければならない現実を嘆きながらも、それを断ち切ろうとする決意がそうさせていたのかもしれない。
会話が途切れると、芹奈には状況を整理する時間ができた。一度に様々なこと――非現実的なことを説明され次々と蓄積された情報を、芹奈は一つ一つまとめていく。
だが、芹奈にとってはまだ情報量が足りなかった。まだ、聞きたいことは存在していた。――それは自分のこと。そして、今周囲にいる梨緒や良たちのことだ。
芹奈は様子を確認するように良たちを一瞥すると、梨緒に視線を戻してから話を切り出した。
「それで、私がその魍魎に襲われたのは偶然のことなんですか? それとも、何か原因があるんですか? それに――」
芹奈は再びそこに居る全員を一瞥してから、この教室に居る間に膨れ上がってきた疑問を問い掛ける。
「――それに、皆さんはいったい、何者なんですか?」