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「Angel-Mirror」
リクエスト
あさぎ・りの さん


そこは、物質的な物の存在が少ない、特殊な空間。

──そう、例えるならば無限に広がる宇宙空間の一部。

「シュレル…仕事の内容を説明するわ。今回の標的はこの子供よ…」

そんな空間の中に響く女性の声。

女性は、空間の中にポツリとある木製の椅子に座り、誰かに何やら説明をしていた。

女性の名はリメル。リメルの前には、台座のようなものと、その上に透明な球体があり、その更に先に説明の聞き手である少年がいる。

聞き手──シュレルは、リメルと同じような椅子に座り、ただじっくりと球体に見入りながらリメルの説明を聞いていた。

「最高議会の判断によって、3日後に、この子供は死を迎えることになったの。見てわかるように、この子供の身体は死亡水準値を超えているわ」

台座の上に置いてある透明な球体には、話題になっている子供と思しき女の子が、ベッドに寝こんでいる姿が映し出されていた。

よく見ると、その女の子の瞳は閉じられていて、生気が失われつつあることがよくわかる。

「この子供の意識を死へ向かわせること…それがシュレルの仕事。……出来るわよね?」

「……うん。大丈夫」

「じゃあ行ってらっしゃい、シュレル」

リメルはシュレルの返答を聞くと、安心したように、しかし、何か物悲しそうにシュレルを仕事へと促した。

シュレルは軽く頷くと、椅子から降りる。そして、空間をゆっくりと歩き出す。

すると、シュレルが向かった方向の空間に、亀裂のような裂け目が発生していた。裂け目からは、この空間とは明らかに違った世界を覗くことができる。

シュレルは近づく。

よく見ると、裂け目から見えているのは空だった。雲1つ無い真青の空。いや、正確に言えば雲の上。

そんな裂け目の先の世界へ、シュレルは進んで行く。そして裂け目の外の世界へと……飛んでいった。



───背中から生えている、翼を羽ばたかせて。

堕ちた者、堕天使──悪魔の証、漆黒の翼を……



「シュレル…行ってらっしゃい……そして……さようなら………」

リメルは──シュレルの母親は笑って……泣いていた。







小さな丘の上にある、これまた小さな病院。

多少、年季が入り出した──人間で言ったら30歳程度の建物。

そんな病院の、とある病室にレミという女の子がいる。

年齢は8歳。ベッドに無言で横たわり、けして閉じられた瞳が開かれることもなく、顔色も悪い。

不幸なことに、彼女は新種のウィルスに感染してしまい、医者にはあと2、3日が峠だと宣告されている。

そんなレミのもとに来訪者が現れたのは、ちょうど入院患者達が食事を済ませ、昼寝をし始める時刻──午後1時過ぎだった。



病室の窓は開けられていた。

天気が良いので、看護婦が気を利かせて開けたのだろう。

その開けられた窓からシュレルは病室へと侵入した。

病室の中にはレミしかいない。どうやら1人用の病室らしい。

レミは相変わらず瞳を閉じていて、動く気配はない。

シュレルは漆黒の翼をしまい、ゆっくりとレミのほうへと近づいていった。

「この子かぁ。まだ子供なのに………」

シュレルはつぶやきながらレミの手を軽く握る。

体温を感じ、レミの生命が確認され、同時に、レミの生命は小さな灯火でしかない、ということが再確認される。

「可愛そう…だよ……」

シュレルはそう感じていた。だが、これは決まったこと。この事実を変えることは不可能なのだ。

ましてや、これ──レミを死へと誘うことは、シュレルの初仕事。

一人前の悪魔として、こなさなければならないことだったのだ。

「せめて……苦痛を感じないように死へと送ってあげなきゃ」

シュレルは決意を抱き、レミの意識へと入っていった。

窓の外では穏やかな日差しが、悪魔であるシュレルを、まるで聖者のように照らしていた。



レミの意識の中。

──そこは小さな公園だった。

ブランコ、すべり台、砂場が、せめぎあうように並んでいる。

その公園の中、少女が砂場で1人、何か寂しそうに遊んでいた。

少女は砂の山を作っている。

大きく、大きくしようとするが、小さな砂粒は儚く微かな斜面を滑り落ちていく。

めげずに少女は、再び挑戦するが、結果は同じ。

………その、繰り返しだった。

ただただ、繰り返すだけだった……



少女は確かにレミだった。

違和感を感じるのは、病室で全く動く気配のないレミを見た後だからだろうか。

「……………」

シュレルは意を決して、レミの元へと向かって行った。

砂場のスペースへと入る。

サクッという、砂場への侵入者を告げる足音に気付いたのか、レミはシュレルのほうを向いた。

……………

最初は不思議そうな顔で、シュレルを見上げていたが、しばらくして、

「あっ!翼が生えてるっ!……天使さまだ〜!!」

レミは嬉しそうに声を上げ、シュレルのほうへと駆け出していく。

そして、シュレルの元に辿り着くと、

「つばさ、つばさ〜!!」

レミはいきなり、まるで我が物のようにシュレルの翼を触り出していた。

「ちょ、ちょっと!」

シュレルは、予想もしていなかったレミの行動に、ただ困った様に、レミのことを眺めていた。

しばらくすると、レミは翼に対する興味が無くなったのか、砂の上にちょこんと座り、ホッとした表情を見せるシュレルに向かって話し始めた。

「ねぇ、天使さま〜。何でレミの周りには誰もいないの?」

「えっ?」

「何でレミはいつも1人でいなきゃいけないの?」

「………よくわからないけど、とりあえず僕は天使じゃないよ」

シュレルはレミの質問の意味がわからず、とりあえず自分のことを答えた。

「うそ〜!だって翼があるよ〜?」

「でも……黒いでしょ、この翼。天使の翼は純白。……僕は悪魔だから漆黒の翼なんだよ」

…『何、子供相手に真面目に答えてるんだろう』なんて、自分も子供のくせに思っていると、思ってもみない返答がレミから返ってきた。

「え〜、嘘つくんならもっとまともな嘘いてよ〜!……白いじゃん翼〜♪」

「えっ!?」

……白かった。どっからどう見ても、紛れもない純白の翼だった。

(……意識進入の副作用かな?)

なんて、一瞬思ったりしたが、それはありえないことだった。

自分の“意識”で、他人の“意識”の中に入りこんだ場合、自分の姿が他のものに干渉されることは絶対になのだ。

それなのに………

この思考は、自分の翼の色が純白である、ということが“真実”であるということの証明にしかならない。

「どうして……?」

「……天使さまが悪魔の“ふり”をしてたんじゃないの〜?」

「えっ!?」

レミの真っ直ぐな言葉に、思わずハッとする。

「僕は……清純な天使なの?……それとも、やっぱり……邪悪な悪魔なの!?」

シュレルは今まで体験したことのない始めての思考に、頭を抱え、震えながら倒れこむ。

「……どっちでも……どっちでもいいんじゃないの?」

「へっ?」

「天使さまでも、悪魔さまでも。どっちも“悪い人”じゃないと思うよ♪だって、どっちも“必要な人”だもん!」

「必要な…人……?」

「そう。だって、人間には“いいと思うコト”も“悪いと思うコト”も必要だもん」

……いつのまにか震えは止まっていた。

考えたこともなかったことを、初見の子供にズバリ言われたことへの驚きと、それを直に受けとめている自分への驚き。この2つの驚きを“真実”として受けとめたからだろう。

「だから天使さま…もしかしたら悪魔さま……迷わないで。ちゃんと自分がやるべきことをやりきって。それがどんなことであっても……絶対に必要なことだから……」

レミはそう言った。

そして、その身体は、周りの景色は、徐々に消えかけていた。

「!!」

「お仕事…これでやり通せるね。……これが悪魔さまの仕事なんでしょ?」

「……………」

「私…もうそろそろ死んじゃうみたい。でも……最後に悪魔さまに会えて…良かったよ……」

「………ダメだ」

「えっ?」

「ダメだ!死んだらダメだ!いや……死なせたりするものか〜!!」



───シュレルは叫んだ。

消えゆく空間の中で。

叫びは空間内では収まりきれず、空間の外にまで響き渡る。

そして───シュレルは消え、レミも、辺りの空間も消えた。







辺りの景色は公園から病室へと戻っていた。

レミは相変わらずの姿。

顔は青白く、瞳は閉じたまま。

シュレルはその相変わらずの姿を確認すると、すぐにベッドの横にあるナースコールを押した。

その後、自分は窓から外へ出る。

しばらくすると、看護婦の応答が病室に流れた。

「レミさん?意識を戻されたんですか?」



………返答なし。



「レミさん?聞こえてますか?レミさん!?」



………やはり返答なし。



病院は、にわかに慌ただしさを帯びてきていた……







しばらくすると、レミがいる病室に複数人の医師が入ってきた。

早急に医師の1人が、レミの脈を取る。

……反応なし。

レミの状態が深刻なものだということが、改めて認識される。

レミは、すぐさま手術室へと運ばれていった。



シュレルは手術室の窓の外辺りに移動していた。

中を見る。

様々な機械が並んでいて、その機械がレミの状態を明確に知らせていた。

そのなかで一番わかりやすかったもの、それは心拍値を測る機械。

───真っ直ぐな直線……0。

レミの心拍は停止していた。

医師が必死に心臓マッサージを施しているが、今のところ効果は無いようだ。

作業が電気ショックへと移行する。

レミの人形のような身体が跳ね上がる。

幾度もその行為は行われた……だが、一向に心拍は回復しない。



───医師達は、すでに諦めの様相を呈していた。



シュレルはその様子を食い入るように見ていた。

何もすることが出来ないという自責感からか、きつく歯を噛み締めている。

「僕には……何もすることが出来ないのか!?」

思わず悪態をつく。

手術室の中が急に静かになった。

見ると、医師達はレミの方に瞳を閉じながらうつむいている。



───医師達は、自分達の敗北を宣言していた。



「…………嘘だろ?」

と、シュレルは自分でも不実なものだとわかっていながら、その言葉を漏らした。

「なんでだよ……なんであの子はこんな思いをしなきゃいけないんだ!?…僕の……僕のせい?僕のせいであの子は死ぬのか!?」

───葛藤。

シュレルの中で台風のように渦巻く。

シュレルは全身を小刻みに震わせ、涙を流しながら、

「僕が…僕が本当に天使だったら良かったのに!!」

そう、声にならない声で叫んだ。



異変は……すぐに起きた。



なんと言えばいいのだろうか、辺りは一瞬、刻の呪縛から解き放たれていた。

……ようは全ての動きが止まっているのだ。

───シュレル一人を除いて。

シュレルの身体はほのかに青白い光を放っていた。

翼が大きく広げられる。

その色は、やはり黒かった。

しかし、黒い翼は徐々にその色は変え始める。

そして、最終的に翼の色は純白になっていた。

シュレルは瞳を閉じたまま、動かない。

本人の意図で起こっている事ではなさそうだ。

翼の色が純白に変わり終えると、シュレルがまとっている光の色も変化を始めた。

青白かった光は、翼とは違って一瞬で黄色がかった色へと変化した。

光は変化を追えたと同時に、周囲へと霧散する。



───辺りは、無の呪縛から開放された。







最高議会からレミの死を確認したという連絡が来たのは、つい先程のことだった。

「………そう」

リメルの返事は実にそっけなく、まるで『そんなことなどどうでもいい』というような口ぶりだった。

ウツロ…である。

親としての『仕事』を全て終え、ホッとした反面、まるで抜け殻のように何か抜けたようである。

もうリメルには何も無かった……







レミは死んだ。

シュレルの願いも届かずに。

ただ………



──レミは死んだが『レミ』は生きていた。



シュレルから霧散した光は、レミの元へと届いていた。

光はレミを包み込み、そっと虚像をベッドの上に残して、実像を空中へと誘った。

…実像には翼が生えていた。……純白の翼が。

レミの実像は窓から外へ、そして遥か天空へと昇っていった。

そして、それを追うようにシュレルも天空へと昇っていった。

レミは………死んだ。







───天使と悪魔。

一見、正反対の存在のように思えるが、そんなことは無い。

例えるならば、鏡の表と裏のような存在だ。

『矛盾してるじゃん。やっぱり正反対じゃないか』と、思われるかもしれないが、それは違う。

何故なら、例え表と裏だとしても、結局は同じ鏡なのである。

極端に言えば、天使は悪魔の仮の姿で、悪魔は天使の仮の姿なのだ。

そして、天使も悪魔も必ず『必要なコト』をする。

良く見えるコトも、悪く見えるコトも、必要なのである。

天使は必ず良く見えるコトを、悪魔は必ず悪く見えるコトをしている……というわけではない。

天使も悪魔も、両方のコトを必ずしているのだ。

ただ、どちらも『悪い人』ではない。

そうだからこそ、シュレルは悪魔であり……天使だった。







その後、シュレルとレミの姿を見たものはいない────



End