番外編2〜麗緒菜の橘君観察日記〜 |
「さぁて、早速作業に取り掛かりますかぁ」
佐々原高校という名の職場から帰宅した私――真中麗緒菜は、化粧を落とすこともなく素早くベッドの上に座り、ベッドに隣接するように設置してあるサイドテーブルの上に置いたノートPCを起動させるべく、電源ボタンを押した。
帰宅早々、なぜ化粧を落とすこともなく一目散にノートPCの起動にかかったかというと、これでも私、自分のホームページを作っていて、そのホームページは、もう私の生活の中の一部分として完全に定着しちゃってるの。
だから、ノートPCを起動させてホームページをチェックするという行動が、完璧に習慣化されちゃってるのよね。
ノートPCのディスプレイに表示されたウィンドウにパスワードを入力すると、様々なアイコンの背後に、色鮮やかな壁紙画像が表示される。
私は、この壁紙画像に、いっつも癒されている。
「はぁ、ホントに可愛いっ♪」
……壁紙として使っている画像は、『学園天国』という女性向恋愛AVGに登場するキャラクター『近藤洋希』クン。
彼は、ホ〜ントに可愛いのだ。
子供から大人への成長過程を踏んでいる途中というのが、そのルックスを通してよくわかる風貌に、絶えず見せる爽やかな笑顔。とっても気さくで、誰とでもすぐに打ち解けられるその性格も、大きなプラスポイント!
だから、ゲームを始めてやったときも、真っ先に気に入っちゃったのよねぇ♪
あ、私、この手のゲームが大好きなのよ。
この『学園天国』以外でも、『怪盗ストロベリー』とか『好きなものは嫌いになれないからしょうがない!!』とかも良かったし、『アポクリプス/ゼロ』なんかも良かったわね。
それに、RPGも大好き。
『First Fantasyシリーズ』は大人気シリーズで私も大好きだし、『英雄伝記シリーズ』もストーリー嗜好の人にはもってこいだし、『幻影水滸伝シリーズ』なんかも沢山登場するキャラクターにハマっちゃうし――
――って、そうじゃなくてノートPCよね。ノートPC。
少し間は空いたけど、早速ウェブブラウズソフトでインターネットに接続し、私のホームページのチェックを始める。
ホームページのチェックと言っても、実際にすることは掲示板の確認とフリーメールへのメール受信確認程度。
だから、それほど時間がかかるものじゃない。
掲示板には、一年近く前から常連として遊びに来てくれている現役高校生の『ピッピ』ちゃんと、最近遊びに来てくれ始めた大学院生の『アリィ』ちゃんから、新規書き込みがあった。
ホント、こういう書き込みがあると、嬉しくって仕事の疲れなんて吹っ飛んじゃうのよね〜♪
書き込みの内容は、ホームページ上で先日公開した創作恋愛AVGの草案を見ての感想。
――そう、私は創作の恋愛AVGを作ろうと以前から模索してるの。
あ、でも『学園天国』みたいな女性向のものじゃなくて、男性も女性もどちらも楽しめるような、どちらかといえばオーソドックスなもの。
主人公の男の子が、登場する女の子たちと恋愛劇を繰り広げるってタイプのね。
『ピッピ』ちゃんも『アリィ』ちゃんも、その草案を気に入ってくれたみたいで、「楽しみにしてます」といった内容の書き込みをしてくれていた。
うん、がんばるよ、私!
……でも、さすがに私一人じゃ、ストーリーはともかくとしてイラストとかBGMまで創るのは無理。
そこで、私はすかさずメーラーを起動させてメールをチェックする。
すると、数件のメールが受信される。
その中の『雛蘭』さんと『TrickMaster』さんからのメールを開く。
この二人は、恋愛AVGを創る上での、私の大切なパートナーたちだ。
『雛蘭』さんはイラストを担当、『TrickMaster』さんはBGMを担当してくれることになっている。
二人はそれぞれ、サンプルの画像とBGMのデータを添付してくれていた。
うん、イラストは可愛く仕上がってるし、BGMも雰囲気を盛り立ててくれそう。
私は二人にそれぞれ返信メールを送ると、とりあえず一段落という感じで軽く息を吐いた。
――でも、私にはまだ、必ずやらなければならないことがある。というか、私としてはむしろここからが本番。
私はノートPCにインストールされている様々なソフトウェアの中から、日記を書くためのソフトを起動した。
起動させると、ディスプレイに日記のタイトルと今月のカレンダーが表示される。
この日記のタイトル――それを見れば、この日記がどういったものなのかが、ハッキリとわかる。
日記のタイトルは、こう。
――――麗緒菜の橘君観察日記。
そう、私にとって今一番のマイブームは、橘 翔羽君、その人なのだ。
* * * * *
彼は夏休み明けに、私の職場である佐々原高校――あ、一応これでも私、保健室の先生なの――に転入してきたんだけど、新学期早々、彼はいきなり私が居る保健室に運ばれて――いや、担ぎ込まれてきたの。
ビックリしたわ〜。だって、(これからまた忙しい日々が始まるわね〜)なんて思いながら保健室の椅子に座って書類の整理をしてたら、いきなり、
「先生〜! 急患です! 急患っ!!」
何てことを叫びながら、一年生の貴島さんがグッタリしてる男の子を担いで来たんだから。
私は状況がいまいち飲み込めなかったから、慌てて貴島さんに男の子をベッドの上に横たわらせるように指示して、何が起こったのか状況説明をしてもらえるように促したわ。
それに対しては、貴島さんと一緒に保健室に入ってきた、貴島さんと同じクラスの藤谷さんが何だか少し恥ずかしそうにしながらも答えてくれた。
「あの、その……学校に来る途中にある十字路でのことなんですけど、海側の方から自転車に乗ったこの人が凄いスピードで走ってきてたみたいで、だけど、ちょうど私が進んでた道からは海側から続いてる道は死角になってて、お互い気付いた時にはもう避けられない状態だったんです。
それで、この人は何とか自転車を私にぶつからないように上手く倒してくれたんですけど、それでもやっぱりこの人自身は避けきれない状態で、結局ぶつかっちゃったんです。……それで、気が付いたらこの人が、その……私の上に乗っかった状態で気を失ってたんです」
藤谷さんの話しが終わると、今度は貴島さんが捕捉するように話しだす。
「それで、偶然私がヒナのすぐ後ろを歩いてて、その惨劇を目の当たりにしたってわけなんですよ。コイツ、思いっきりヒナの胸を触った状態で乗りかかってたから、最初は変態がヒナに襲いかかってたのかと思いましたよ。……まぁ、ヒナに話を聞いて違うってことはわかりましたけどね〜」
貴島さんが、藤谷さんに時折ニヤついた笑みを向けていたのがスッゴク気になったけど、ここは我慢して仕事を優先。
とりあえず話を聞いた限りでは、この男の子はそれほど深刻な状態ではなさそう。
そのことにホッとしながらも、じゃあいったい、どういう理由で気絶したんだろうかと、視線を男の子に向けながらすかさず思考に移る。
見た感じ身体にはそれほどダメージは無さそうだから、ぶつかった衝撃で気絶したってことは無さそう。
となると、考えられるのは元々気絶しやすい体質――貧血や熱中症――だということ。
ただ、熱中症であるならば、多量の発汗などの症状が見られるはずだけど、そんな様子は無い。
っていうことは、貧血? ……にしても、貧血なら貧血で、皮膚の蒼白化などの症状があるはずなんだけど、それも見られない。
う〜ん……まぁ、どちらかといえば貧血という線のほうが濃厚かもしれない。
そう結論付けてから、今度はぶつかり合ってしまったもう一方――藤谷さんの容態を確認すべく、彼女に身体の以上が無いかを尋ねる。
藤谷さんは、自分の身体の様子を再確認するように見やり、
「私はちょっと擦傷が出来ただけだから大丈夫です。それよりこの人は……」
そう言って、自分のことよりこの男の子の方をしきりに心配していた。
うんうん、前から思ってたけど、この子はホントに可愛い子ね〜。
顔が童顔なのもそうだけど、その仕草とか性格とか……ホント、ゲームのキャラクターで出てきそうだもの♪
……まぁ、それはともかく、藤谷さんの身体も大丈夫そうだし、私は藤谷さんに対してこの男の子も大丈夫ということを伝えてから、二人に対して、もう教室に戻るようにと促した。
今日は夏休みが明けて最初の登校日だから、これから始業式が待っているのだ。
二人は私の言葉を聞くと、軽く返事をして保健室から出ていった。
ふと、保健室内を静寂が包み込む。
その空虚感に軽く溜め息を吐きながら、再び視線を男の子の方に移す。
彼の意識は相変わらず、暗闇の中に閉じ込められているみたい。
私は彼が寝ているベッドの横に椅子を移動させて、ゆっくりと腰を降ろす。
至近距離から彼の顔を窺うと、中々モテそうな顔立ちをしていた。
穏やかな寝顔に、思わず顔がほころんでしまっている自分が。
――って、何考えてるのよ、私ったら。
そ、それはそうと、今まで私は彼のことを見たことが無い。
もしかしたら彼は、早朝の職員会議で言っていた転入生なのかも。
「転入生……ねぇ」
私は、『転入生』というキーワードから、恋愛AVG『学園天国』の『近藤洋希』君のことを思い浮かべていた。
夏休み期間中に発売されたこのゲームを、私は発売日にしっかりとゲットしていた。
それはもう、面白くって面白くって……って、そうじゃないわよね。
何で『転入生』というキーワードから『近藤洋希』君を思い浮かべたかというと、簡単なこと、その『近藤洋希』君が転入生なのよ。
だから、最近ずっと『学園天国』にハマっていることもあって、パッと思い浮かんだの。
……で、その時、私の頭の中である一つの考えが思い浮かんでしまった。
まさに、『ビビビッ』ときたって感じ。
――私はこの瞬間、以前から考えていた創作恋愛AVGに彼を使おうと思い立ったのでした。
もちろん、彼自身の名前をそのまま使おうだなんてことは、考えてないわ。
でも、創作恋愛AVGに登場させるキャラのモデルとして参考にさせてもらうってことくらい、構わないわよね。
そのためには、これからもっと彼のことについての情報を得なければならない。
私は、始業式が終わるまでの間、ただひたすらそのことに関する方法を検討していた。
……でも、さすがにずっと彼を保健室の中に止めておくわけにはいかない。
私はサッと立ち上がると、彼の肩を軽く揺すりながら、呼び起こそうと試みる。
すると、彼は少し変な感じの呻き声を上げながら、ゆっくりと目を開き始めた。
まだ意識が朦朧としているのか、彼は呆然とした様子で、周囲を見まわし始める。
私の方を向くと、彼はゆっくりと視線を上げていった。
そして、視線は私の顔に向けられ、その動きを一時停止させる。
あまりにまじまじと見てくるから、何だかちょっと気恥ずかしくなってきた。
でも、その行動に嫌悪感を感じることは無い。
多分、『彼が発するものが、私にとって害になることはない』と、私自身が判断したからだと思う。
……でも、彼は視線を天井に戻したかと思ったら、突然目を見開きながら叫んで、私の手を避けるかのようにその場で跳躍したの。
ただ、着地に失敗したみたいで、思いっきりベッドから転げ落ちていたけど。
ホント、ビックリしたわ。
何だか、驚くというよりは、呆れちゃう感じ。
でも、あまりにも勢い良く転げ落ちてたから、何だかものすごく心配になってきちゃった。
……あ、ダメだ。
「ちょっと、大丈夫?」
私が、強く打ったであろう彼の腰を診ようと手を伸ばすと、彼は慌ててそれを拒否した。
その慌てぶりが、余計に私の不安感を増幅させる。
もう、心配で心配でたまらなかった。だから――
「………本当に?」
――私は顔を思いっきり彼に近づけて、確かめるようにそう言った。
私の視界は、見事に歪んで見えている。
……ダメなの。私、極度に心配しちゃうと、どうしても涙が溢れてきそうになっちゃうの。
情けない話だけど、こればっかりは、どうしても治らない。
彼は、私の言葉に答えると、ゆっくりと立ち上がって数歩後づさる。
まだ、意識がしっかりしてなくて、軽い『立ちくらみ』状態になっているのかな。
まぁ、とりあえず身体に問題は無いみたいだから、ホントに良かった。
それに、私自身が、彼に対する興味を覚えることが出来たしね♪
その後、彼の名前が橘だということと、橘君が貧血でよく気を失ってしまうということ、そして、やっぱり橘君が例の転入生だということを知った。
これはもう、彼のことをもっともっと知らなくちゃ!
そう、改めて思わせてくれた事実。
……けど、呼びに来た沙絵(あ、沙絵は橘君のクラスの担任をしてる先生ね)に連れられて保健室を出て行く時の橘君の様子を見ていたら、何だかそんなに浮かれている状態じゃないのかもって思っちゃった。
だって、橘君、何だか物凄く青ざめたような表情を見せていたんだもの。
辛そうにうつむいてるし――あ、また……ダメだ。
再び、溜まってくる涙。
* * *
確かに、浮かれている状態じゃないのかも……とは思ったわ。
――でも、まさかその日のうちに再び、彼が保健室に担ぎ込まれることになるとは思っても見なかった。
気分転換でもしようと、屋上を目指して階段を昇っていた私の前に現れたのは、グッタリした橘君を無理な体勢でおぶった沙絵の姿だった。
沙絵は私を見つけるといきなり、
「お、グッドタイミングよ麗緒菜! この子また気絶しちゃったのよ。保健室に運ぶの手伝って!!」
有無を言わせないような鋭い声で、私に叫んできた。
もちろん、私に断る理由など……っていうか、断ることなんて出来ない。
沙絵がおぶった橘君を降ろすと、私はすかさず足の方を持つ。
沙絵が頭側から胴のあたりを持つと、ゆっくりと一段ずつ階段を降り始めた。
そして、もう少しで保健室というところまで来た時、前方から誰かが駆け寄ってきた。
「ハァ、ハァ……やっぱり翔羽だったかぁ〜」
黒のストレートヘアーの女の子だった。シグナルレッドのリボンをつけてることから、三年生だということがわかる。……でも、見たことのない子。
とっても綺麗な子で、何だか『女の子』と呼ぶのは適当では無いような、大人びた印象を受ける。
誰なんだろう? って思ってたら、沙絵が思い出したかのように話しだした。
「――あら・……確か橘君のお姉さんだったわよね?」
「はい! 橘 舞羽です。……翔羽、また気絶しちゃったんですね」
舞羽ちゃんの言葉で、橘君が気を失うのは結構日常茶飯事だということを、認識することが出来た。
やっぱり、貧血が癖になっちゃってるのかも。
「そうなのよ。良かったらあなたも一緒に保健室に来てくれる?」
「はい、わかりました!」
沙絵の言葉に舞羽ちゃんが元気良く答えたのを合図に、私たちは保健室の中へと橘君を運び込んだ。
橘君をベッドの上に横たわらせてから、念のために容態をチェック。
特に問題は無かったから、私は早速、新たに現れた興味の対象に意識を移すことに。
――もちろん、その『興味の対象』とは、橘 舞羽ちゃんのことだ。
こんなに綺麗な子、創作恋愛AVGのキャラクターのモデルにしない手はないもの。
自然と始まった雑談で、舞羽ちゃんが何気に結構有名人だという重要な情報を知った。
何でも高校生を対象にしたファッション雑誌、『AfteR SchooL for Senior』の専属モデルをしてるらしいの。
専属モデルよ!? 専属モデル!!
そんな人物になんて、そうそう出会えるものじゃないわ!
これはもう、神様が与えてくれたとびっきりの情報に間違いない!
――しかも、舞羽ちゃんは結構特殊な趣味を持っているみたい。
「あの……真中先生。全然話は変わっちゃうんですけど、その白衣って……何着か持っていらっしゃるんですか」
「え? えぇ、まぁ仕事着だし、一着しかないんじゃ不便だから、四着持ってるけど……」
「ホントですかっ!? じゃあ……もし良かったら、一着私にくれませんか!?」
「…………えっ?」
一瞬、その言葉の意図が全くつかめなかった。
白衣が欲しい?
いったい、何のために?
――その答えは、舞羽ちゃん本人からすぐに知ることになった。
「私、趣味でコスプレやってて、白衣はまだ持ってないからぜひ欲しいんです!!」
「そ、そうなんだ……でも、ゴメンナサイね。仕事で使うものだから、あげるわけにはいかないのよ」
「そうですか……残念ですけど、仕方ないですね」
コスプレが趣味!
こんなに個性のある人物、やっぱりそうは居ないわ!
私は、今日という日に感謝しながら、舞羽ちゃんの情報をしっかりと頭の中にインプットする。
「あの、これから翔羽が何度もお世話になっちゃうと思うので、申し訳ないですけどよろしくお願いします」
舞羽ちゃんは雑談が終わる頃、表情を引き締めながらそう話し、ゆっくりと頭を垂れた。
私はその瞬間、舞羽ちゃんに対するイメージに少し変化を持たせた。
彼女は『ただの綺麗で専属モデルでコスプレ好きな女子高生』ではない。
瞬間にそう認識することが出来るほどに、彼女の表情と姿勢は、一種の慈愛のようなものに満ちていた。
* * *
舞羽ちゃんの『これから翔羽が何度もお世話になっちゃう』という指摘は、確かに合っていた。
橘君は、それこそ毎週のように保健室に運ばれてきたのだ。
何だか、ここまで気絶回数が多いと、彼の健康面を心配してしまう。
いくらなんでも、気絶しすぎじゃない?
早期に検査を受けてもらったほうが良いのでは?
そんな思いが日々増していった……けど、その思いは、更に日が進むにつれ少しずつ薄れていった。
原因はわからないけど、徐々に彼が保健室に運び込まれる頻度が減少してきたのだ。
癖になってる貧血が改善傾向にあるのかしら?
だとしたら、それはとても良いこと。そう、そうなんだけど……
どこかで私は、その事実を残念に思っていた。
保健医として、それはあり得ない衝動なはずだった。
でも、間違いなく私は、彼と会う機会が減ることを嘆いていた。いや、そうじゃなくって――――
――彼という情報源を認知する機会が減少することに対して、嘆いていた。
……何バカなことを思ってるんだろう、私ったら。
でも、そう思ってしまうくらいに彼の新たな情報を仕入れようと考えていることに、私は気づいていた。
私は、橘君という媒体に、間違いなく惹かれている。
* * *
貧血が落ち着き始めてから、橘君が再び保健室に訪れたのは、衣替えも終えた十月の九日のことだった。
保健室で書類の整理をしていた私の元へ、まるで橘君に出会った日の再現でもしているかのように、橘君を担いだ貴島さんが現れたの。
今回は制服姿ではなくて、体操着姿だったけど。
貴島さんは慣れた手つきで橘君をベッドの上に横たえらせると、心配そうな表情で私に状況を説明してくれた。
「体育の授業で体育祭のリレーの練習をしてたときに、走ってた橘が突然貧血で倒れたんです。貧血で気絶するのはいつものことですけど……大丈夫ですよね?」
軽く紅潮した顔が曇っている。
体育の授業で身体を動かしている最中、橘君を担いできたりしたから、疲れが溜まっているのかしら。
何にしても、貴島さんがこんな表情を見せるのは珍しい気がする。
少しそのことに不安感を感じながらも、まずは橘君の容態の確認を。
――とりあえず、いつも通り外傷は無いし呼吸・脈拍も安定しているから、特に問題は無いみたい。
私がそのことを貴島さんに告げると、ようやくホッとした表情を見せて、私の不安を拭ってくれた。
………よし!
とりあえず落ち着いたところで、早速私は新たな情報収集に移る。
――そう、今はまた新たな橘君情報を入手できるチャンスなのだ。
「――えっと、橘君が倒れたときのことをもう少し詳しく教えてくれる?」
そう告げると貴島さんはより顔を紅潮させ、何故だか控えめな声ながらも答えてくれた。
「あ、あの……ちょうどリレーで橘が私にバトンを渡す時だったんですけど、橘が足を滑らせたみたいで私に突っ込んできたんです。それで思いっきりぶつかっちゃって、気がついたら…その……橘が私のブルマの上に頭をうずめてる状態になってて……」
「あらあら、それはまた橘君も大胆なことをしちゃったこと」
何だか、聞いていて微笑ましく感じてしまうのは、貴島さんの表情に恥じらいは見受けられても辛さは見受けられないからなんだろうなぁ。
「ホントですよね〜! ……あ、でもわざとじゃないだろうから、仕方がないですけどね」
貴島さんは私の言葉を聞くと、少しうんざりしているような表情を見せながらも、どこか『仕方が無いなぁ』みたいな、そんな心情を感じさせる微笑を見せていた。
保健室内を包む空気が、どこか生温い。
何となく、彼女がそういう表情を見せる理由が、わかったような気がした。
わかると、自然とより深い情報を仕入れたくなってくる。
――そう、私は橘君自身の情報のみならず、橘君を囲むクラスメイトの子たちの情報も得たいと思い始めてしまったのだ。
「ふぅん、そっか。……それにしても、何か貴島さんにしてはおとなしくない? 随分と下手に出てるように見えるけど……」
「えっ? そんなことないですよ! な、何言ってるんですか先生!!」
そう慌てて否定するところが、何とも可愛らしい。
彼女の可愛らしいところに気付いていない男子生徒が多いみたいだけど、私はそこに気付いているつもり。
ルックスだって、ボーイッシュなのを売りにしているアイドルみたいだし、彼女の明るさは周りの皆を元気にする力があると思う。
もしかしたら、貴島さん自身も気付いていないのかもしれないけど。
あぁ、こんな可愛い子を目の前にしちゃうと、もっといじってみたくなっちゃう!
「あら、そうなの? その割には随分と慌ててるように見えるけど。私はただ、『普段よりおとなしいんじゃない?』って聞いただけなんだけどな〜。……それとも、何か別の理由でもあるのかしら?」
「べ、別にそんなものないですって!」
「ホントに〜?」
「ホ、ホントです…よ?」
「ホントにホント〜?」
「ホ、ホント……」
「ホントにホントにホント〜?」
「…………」
あら、黙っちゃった。……ちょっといじりすぎちゃったかな?
でも……やっぱり楽しい!
――けど、そこは抑えてっと。
「あはは、ゴメンゴメン。ただ、珍しいなぁって思っただけだから」
「も、もぅ、急に変なこと言わないでくださいよ〜」
こんな感じで貴島さんと話しているうちに、橘君が意識を取り戻した。
私は橘君の軽いうめき声にすばやく反応して、すぐにベッドの横に陣取る。
そして、状態を確認するために声をかけた。
橘君は私に気付くと、いつものように焦った表情を見せながら答えてくれる。
でも、何でいつも焦った表情をするんだろ?
……ま、いっか。
で、その後橘君が貴島さんのことを聞いてきたから、視線を貴島さんに移すと、彼女は両手を腰に当て、さっきまでとは違った引きつった表情を見せていた。
そして、彼女は怒気のこもった声を橘君に向け始める。
何だかその変わり様を見てると、またいじりたくなってきちゃった。
だから、つい貴島さんにつっこんじゃったの。
「まぁまぁ。そんなに怒らないで。……何があったのかは知らないけど、あんなに心配そうに橘君を担いできたのはあなたでしょ?」
そしたら貴島さん、ホント見事に表情が私と話していたときのものに戻ったわ。
明らかに恥ずかしそうにしながら、小声で必死に否定するの。
でも私が「そうなの?」って追求したら、彼女はまた黙っちゃった。
さすがにおいたが過ぎちゃったかな?
そう思ったから、ちょっともったいない気もしたけど、適当な口実を繕って保健室から出た。
ただ、ちょっとあの貴島さんの怒り具合が気になったから、ドアを閉めてからも、少しの間その場に留まって中から聞こえてくる声を拾っていたけど、どうやらケンカをしたりはしてなさそう。
キュルルルル
……あ、何かホッとしたらお腹がすいてきちゃった。
今日は何を食べようかなぁ。……まぁ、適当に購買で見繕って沙絵と一緒に食べよ〜っと♪
* * *
――10月も終わりを告げかけていたとある日。
この日は私にとって、色んな意味でものすごく貴重な日となった。
そう、それはもう、今まで集めた情報たちを束ねても足りないくらいに、大きな情報を手にすることが出来たのだ。
それは、私が昼休みの時間に保健室の中で『セリア様がみてる』っていう文庫本を読んでいたときのこと――
『先生〜っ!!』
保健室のドアが開かれるのと同時に聞こえてきた突然の声に、驚きながら振り向くと、そこには気絶した橘君を担いだ貴島さんと、同じクラスの藤谷さんと泉川さんと森野さんが、必死の形相で存在していた。
一瞬、あまりの勢いにただ呆然とその様子を眺めちゃったけど、貴島さんに担がれてる橘君の姿を確認した瞬間、呆けている場合ではないと気付く。
いつも担ぎ込まれてくるときの姿とは、明らかに違ったのだ。
どこが違ったかというと……
「ど、どうしたのこの制服!? お弁当でもこぼしちゃったわけ?」
私が慌てて駆け寄りながらそう言うと、藤谷さんが慌てて叫び伝えようとしてきた。
「あ、あの! 橘君にお弁当作ってあげて、それで、食べてもらおうと思って、そして、えっと、それを渡したら由紀が来て、それで何だか言い争っちゃって、それで、んと、泉川さんと森野さんが来て、えっと、それで――」
……このままじゃ理解できるのがいつになることやら。
「はいはい、で、つまりどういうことなの、泉川さん?」
藤谷さんがあまりにも動揺してたから、素直に泉川さんに聞くことにした。
――そして、泉川さんの説明を聞いたことで、何とも興味深い、ここに集まる五人の関係性を知ることが出来たのだ。
「あの、ヒナ……えと、藤谷さんが橘のためにお弁当を作ってきて、それを見た由紀が藤谷さんを挑発しちゃって――」
橘君をベッドの上に横たえらせた後、私は泉川さんの説明を受けることに。
「挑発?」
「あ、はい。その……言っちゃってもいいよね、皆?」
泉川さんは、貴島さんと藤谷さんと森野さんに何かを確認するように視線を向けて、三人が揃って頷くのを確認すると、改めて私の方を向いて言葉を続け出す。
「その、つまり、私たち、橘のことが好きなんですよ。それで、由紀は藤谷さんが抜け駆けでポイントを稼いでるんじゃないかって思ったらしくって、それで言い争いになっちゃったんです。
そのあと色々あって、橘のスラックスの上にお弁当をぶちまけちゃったんです。……ちょっと説明しにくいんですけど、普通にぶちまけた弁当を処理できる状態じゃなくって、森野さんが手で探るように弁当を取り除く作業をしてくれてたんです。そしたら……その、間違ってお弁当じゃないものを取り除こうとしちゃって……それで、気絶しちゃったんですよ、橘」
もう、このとき私は、ある種天にも昇るような気分になっていた。
だって、この子たちが揃って橘君のことが好きだっていう事実を知ることが出来たんですもの!
こんなすごい情報、中々ゲット出来るものじゃないわ!
嬉しくて、自然と笑みがこぼれてきちゃう。
皆を一瞥すると、それぞれ表情が微妙に違って面白い。
貴島さんはあからさまに恥ずかしそうにしているし、藤谷さんは恥ずかしそうにしながらも橘君を心配しているであろう表情も色濃く残しているし、森野さんは恥ずかしがっている様子は見せずに穏やかな笑みを浮かべているし、泉川さんはいたって冷静に私にことを説明しようとしてくれている。
……ん? でも、『お弁当じゃないもの』って、いったい何のこと?
「ふふ、そっかぁ、そういうことかぁ。……でも、お弁当じゃないものって?」
「……お願いします。言わせないでください」
「あ、あぁ。なるほどね」
冷静にことを説明し、表情を崩すことが無かった泉川さんが頬を紅潮させたのを見て、私は彼女が伝えようとしていることを理解した。
……うん、どんな感じなのかはわからないけど、相当キツいんだろうなぁそれは。
泉川さんの説明を聞き終えると、私は橘君の無残な姿に視線を移した。
ホント、かわいそうなくらいにスラックスは汚れてしまっている。
とりあえず、このままにしておくわけにはいかないわよね。
そう思った私は、彼女たちに橘君のジャージを持ってくるように指示した。
そして、彼女たちから橘君のジャージを受け取った後、私は彼女たちにこう指示した。
「これから橘君の服を着替えさせるから、あなたたちは外で待ってなさい」
さすがに、女子学生である彼女たちに橘君の着替えをさせるわけにはいかないだろう。
そう判断しての言葉だった。……んだけど、彼女たちはその言葉に反発してきた。
「いえ、こうなっちゃったのは私たちのせいだから、私たちも手伝います! ねぇ、皆っ!」
泉川さんの号令のような言葉に、他の子たちは揃って賛同する。
それが本心なのか、単なる好奇心なのかはわからなかったけど、少なくとも私が何か言っても引き下がりそうにはなかったから、仕方なしに了承した。
――そして、橘君着せ替え作戦は決行された。
まず、ゆっくりとベルトを外す作業にかかる。
これは難なく終了。
そして、問題のスラックスを脱がす作業。
ホックを外して、チャックを下ろす。
『あっ……』
まさに、声は揃っていた。
何と言うか、まぁ……アレがとっても元気だったわけ。
さすがに皆、揃って顔を赤くしている。
まぁ、それでも興味はあるみたいで、視線はそらしていなかったけど。
……やっぱり、無理にでも外に追い出しとくべきだったかな。
なんて、今更後悔したって仕方ないんだけどね。
とにかく、作業は続けられた。
彼女たちに臀部から足を持ち上げてもらいながらスラックスを脱がし、新たにジャージを着せる。
そして、上半身もササっと着替えさせて、着せ替え完了。
「………ふぅ」
思わず軽くため息を吐いていると、校内に昼休み終了のチャイムが流れ出した。
「あなたたち、あとは私がやっておくから教室に戻りなさい」
素早くそう指示すると、彼女たちは躊躇いがちながらも保健室から出て行く。
「………ふぅ」
さっきとは違った、より深い意味の込められたため息を吐いて、私は橘君の制服をビニール袋にまとめた。
そして、五時限目の授業が行われている間に橘君の制服をクリーニングに出した。
クリーニング店が学校を出てすぐの大通りにあるため、行って帰ってくるのにそれほどの時間は要さない。
保健室に戻ってきたときも、まだ五時限目の時間内だった。
椅子に座り、橘君の様子を確認する。
気持ち良さそうな、寝顔。
――彼女たちは、橘君のどこに惹かれたのかしら。
ふと、そんなことを思った。
……少なくとも、私みたいに『見た目が可愛いから興味を持った』っていうことは無いだろう。
きっと、橘君の内面に、彼女たちを魅了する何かがあるんだろうなぁ。
うん、何だか青春って感じよねっ!
ホント、こんな良い情報を仕入れることが出来たなんて、今日は良い日だわ。
五時限目が終わると、例の四人が揃って保健室にやってきた。
我先にと橘君の容態を聞いてくるから、思わず声を出して笑っちゃいそうになる。
とりあえず落ち着くように言ってから、まだ目を覚ましていないことを伝えようとしたら、橘君が小さくうめきながら目を覚ました。
「あっ、気付いたみたいね」
私がそう言いながら近寄ると、橘君は自分の格好に気付いたみたいで、私にそのことを聞いてきた。
素直にクリーニングに出したことを告げると、橘君は誰が着替えさせたのかを聞いてくる。
そのときの橘君の表情!
もう、ホントに可愛いの♪
恥ずかしそうに言葉を放つ橘君に、私はやっぱり少しいじってみたくなっちゃう。
だから――
「ふふ、私たち全員で着替えさせたわよ〜。……でも、随分と『元気』だったから、ちょっとビックリしちゃったけど。……ね、みんな♪」
そんな言葉を向けてみたの。
それはもう、皆期待通りの反応をしてくれたわ。
女の子達は皆、恥ずかしそうに顔をうつむかせたし、橘君にいたっては起こしていた上体を寝かせちゃったし。
皆かわいい〜♪
私はこのとき、確実に皆を創作恋愛AVGのモデルにすることを天に誓った。
だって、この子達を題材にしない手はないじゃない♪
* * * * *
昨日までの日記を改めて見てみると、結構情報が集まってきたなぁと改めて実感できた。
そして、今まで書いてきて良かったと、改めて思った。
――だから、今日の分もキチンと書かないとねっ♪
今日は昨日に引き続き、橘君が保健室に届けられた。
今回もやっぱり気を失ってたんだけど、何だかいつもと理由が違うみたい。
運んできた生徒に聞いてみたら、何でも森野さんが作ったお弁当にあたったらしいの。
でも、気絶しちゃうだなんて、いったいどんなお弁当だったんだろう。
……ちょっと想像もつかない。
そのあと、しばらくしたら橘君と同じクラスの辰巳君がやってきた。
辰巳君があまりにも苦しそうにお腹を押さえていたから、慌てて近づいて何があったのか聞いたの。
そしたら辰巳君、
「せ、先生、自分はもう……ダメです。どうか……どうか最後にその豊満な胸で自分を包み込んでぇ!」
なんて言って私の胸に顔をうずめてきたの。
さすがにちょっとビックリしちゃったわ。
「こ、こら、何やってるのよ。いくら体調が悪いからって、そんなイタズラしちゃダメよっ」
ほどほどに加減して彼のお腹を叩いたら、辰巳君、ホントに苦しそうにその場に崩れ落ちちゃったの。
今度はホントにビックリしちゃったわ。
「だ、大丈夫!?」
慌ててかがんで彼を抱き起こしたら、
「う〜ん、やはり想像していた通りの感触。……たまらん」
………まったく、この子ったら。
「ちょ〜しに乗ってるんじゃないのっ!」
――今度は手加減なしで叩いてやったわ。
彼をベッドに寝かせてから事情を聞いたら、なんと辰巳君も森野さんのお弁当にあたっちゃったらしいの。
……ホント、毒でも盛ってあったのかしら?
出来れば保健室で橘君と辰巳君の様子を見ていたかったんだけど、どうしても出なきゃいけない用事があったから、仕方なしに辰巳君に橘君のことをまかせて保健室を出ることにした。
う〜ん……また新たな情報をゲットできるチャンスだったのにぃ。
……残念。
でもまぁ、きっとまた新しい情報をゲットできるチャンスは来るわよねっ!
あぁ、今から楽しみっ♪
――――でも、ね。
情報情報って言ってるけど、何だかんだ言っても私は佐々原高校の保健医。
少し寂しく感じちゃうとは思うけど、やっぱり健康でいてくれるのが一番嬉しいの。
毎日元気に、高校生活を楽しみながら過ごしてほしい。
勉強にしてもスポーツにしても。
……そして、恋愛にしても。
高校生活を送れる時は、限られてる。
だからこそ、一日一日を大事に過ごしてほしい。
橘君のことが好きな女の子たちも、悔いがないように恋愛を楽しんでほしいな。
橘君が誰を選ぶのかはわからないけど、結果がどうであっても、悔いだけは残してほしくない。
私が直接的な手助けをすることが出来ないのが残念だけど、時間があるときになら、いくらでも相談に乗ってあげたい。
特に……女の子たちからの相談かな。
私にも、確かにあった高校時代。
こんな私でも、いろんなことがあった高校時代。
あの子たちは、これからいったいどんな経験をしていくんだろ。
あまりあの子たちのプライベートに触れすぎるのは良くないと思うけど――
――あの子たちの恋愛劇を楽しみにすることくらいは……いいよねっ♪
===あとがき=====
いやぁ、とっても大変だぁ(><
……お待たせお待たせの番外編2です。
この番外編2は、キリリクとして「お弁当事件までの、真中先生の橘君の観察」といったものを受けて書いたものです。
どうですかね……ちょっと……いや、かなりイメージとは違ってしまいましたでしょうか(汗)
「大人の視点から見た橘君たち」ということでしたが……スイマセン、真中先生では、それはほぼ無理です。
だって、真中先生って、ああいう性格なんですもん(笑)
でも、真中先生をメインで描くことは中々ないと思うので、書いている自分自身も、新たな真中先生の魅力に気付くことが出来ました。
真中先生のホームページ……私も見てみたい(笑)
あ、どうでもいい話ですけど、ちょっとマコっちのファンがどれくらいいるのかが気になっている今日この頃。
あのノリは、このまま続けるべきなのかなぁ……とかね。
ま、好みはそれぞれでしょうけど。
2005/01/03 22:10
何とかお正月休み中に書き終えたぁ! ……な、状態にて。