第31話〜feat. AMY KAGAMI #1 [旅行×温泉×変化]〜 |
心地良いまどろみの中。一定間隔に聞こえてくる音が、俺の意識を呼び覚ましていた。
軽く目をこすりながら見る、ぼやけた眼前の光景。
そこには、俺が座っている座席と向かい合うようにある座席に座り、寄り添うように身体を傾け眠る、森野さんとエイミーの姿が。
視線を右にずらせば、通路を挟んだ先にある座席に日奈子と春日井さんと幸樹、そして俊哉さんが座り、眠っている。
――ふと、右肩に温かな感触が。
俺の隣、そこにいるのは気持ち良さそうに寝息を漏らす奈央さん。森野さんに俊哉さんに奈央さん、bonheurメンバー勢ぞろいだ。
と、それはともかく、奈央さんの身体はしっかりと俺に密着していて……。
俺はまどろみから抜け出すことなく、再び夢の世界へと旅立っていくのだろう。
早朝の特急列車の中、俺の意識は再び閉ざされる。それでも列車は心地良い揺れを与え続けてくれ、緩やかな時間が流れていった。
俺たちの目的地に向け、列車は軽快に走り続ける。三連休の一日目、俺たちを迎えてくれるのは、いったい何なんだろう。
楽しさ? 嬉しさ? 喜び? それとも……。
* * * * *
日奈子と由紀と泉川と森野さん、俺が彼女たちの好意に気付いていることがバレたあの日から一週間が経過していた。
バレた日の翌日は、物凄く学校に行くのが億劫だった。……当然だ。必ず彼女たちに会うことになるし、会ったら何かしらのアクションが発生する。
それが良いものになるか悪いものなのかはわからないけど、どちらにしても俺にはそれを受け止められないと思っていた。
きっと、逃げ出したくなるほどの衝動に駆られるだろう――と。
それでも、俺は当日、しっかりと学校に赴いていた。登校時間に遅れることなく、いつもと大して変わらない時刻に。
俺が学校に行けたのは、高遠さんから受けた、あの言葉があったから。
『橘、気にしすぎだよ――』
『そんなど〜でもいいことで悩んだりすんなよ』
『むしろ楽しめ!』
――その一言一句が、間違いなく俺の中で『勇気』というものに生まれ変わっていたんだ。
だから、教室で彼女たちに会う前までは、自分でもビックリするくらいに落ち着いていられた。――正確に言えば、彼女たちと会話をするまでは。
いつもと変わらず、むしろ何か自信みたいなものすら窺わせる泉川、いつもの元気さが見られない由紀、何だか話を振ろうとしているけど良いネタが思い浮かばないといった様子の森野さん、そして、控えめな挨拶のみでその口を閉ざしてしまっている日奈子。
彼女たちとの会話は、間違いなく俺に不安と困惑を与えていた。
一日一日と過ぎていくたびにその感情に耐えられなり、必然的に彼女たちとの会話は激減していく。
その間にも、俺と彼女たちの関係はクラス内に広まっていった。けど、クラスメイトたちが俺や彼女たちにちょっかいを出してくることはなかった。
気を使っているのか、茶々を入れられるような雰囲気になかったのかはわからないけど、その事実は俺にとってありがたいもの。
こんな状態で癇に障るような言葉を投げかけられたりしたら、どんな行動を返してしまうか、俺自身も予想できやしない。
けど、さすがにこんな状態が一週間、二週間続くと、違った意味での不安感がものすごい勢いで湧き出してくる。
もしかしたら、このままずっと彼女たちとまともな会話ができなくなってしまうんじゃないか。このまま、もやもやした感情を抱いたまま……。
確かに彼女たちと会話をすることに不安感・恐怖心はある。けど、その状態がずっと続くだなんて、その方がよっぽど怖いし嫌だ。
とは言っても、俺にはこの状況を打開する策なんて、まったく浮かんでこなかった。彼女たちのことを考えることで、嫌でも鼓動が激しくなり、感情が錯乱する。そんな状態で、まともな答えが出せるはずなどない。
――そんな、歯がゆさと葛藤に苦痛を感じている、昼休みの教室でのことだった。
「ねぇショウ、ちょっと話したいことあるんだけど今いい〜?」
いつまでたっても答えが浮かばずに頭を抱えていた俺に声をかけてきたのは、俺と例の彼女たちとの関係を知ってもそれまでと変わらない素振りを見せてくれているエイミーだった。俺の机に両手をついて、覗き込むようにこちらを窺っている。
俺は一向に解けない方程式に立ち向かうのを止め、軽く首肯して立ち上がった。
エイミーは俺を、教室の外――つまり廊下へと誘う。特に違和感を感じることもなく、誘われるがままに廊下へと出る。
――するとそこには、日奈子、由紀、泉川、森野さん、春日井さん、高遠さん、誠人、幸樹といった、いつもの面子が勢ぞろいしていた。
俺ははっきりいって、かなり焦っていた。こうして皆して集まるのは、あのお互いの気持ちを知った日以来初めてのこと。俺に好意を抱いてくれている四人が、普段集まって話をしたりしているのかは知らないけど。
久しぶりだし、あまりに唐突だから気持ちの準備なんて出来てないし……俺は、ただ目のやり場に困っていた。
必然的に出来上がる、神経を圧迫する沈黙。
しかし、その沈黙は一瞬だった。俺を呼び寄せたエイミーが、この雰囲気を振り払うかのように話し始めたんだ。
「えっとね、なんで集まってもらったかっていうと……エイミー、皆で旅行に行きたいなぁって思ってるんだぁ!」
「旅行? ……また随分と突然ね。何でいきなり?」
エイミーの言葉に、泉川が首をかしげながら聞き返す。
「うん、本当はもっと早くやりたかったんだけど……ほら、この前bonheurのアルバムが出たでしょ? だから、TOSHIさんとNAOさんも呼んで皆でお祝い旅行しよ〜って思って」
その言葉で皆の視線が森野さんに集まる。……が、当の本人は全くその事実を知らなかったようで、ただ驚きながら首を横に振っていた。
「……俊哉さんと奈央さんはご存知なんですか?」
春日井さんの言葉に、エイミーは笑顔で返す。
「うん! だって、TOSHIさんとNAOさんの都合で、少し予定が遅れちゃったんだから」
「そうですか。……それで、旅行といっても、行く場所とか、泊まる場所とか決めてらっしゃるんですか?」
「うん。それは大丈夫!」
「でも…旅行って、やっぱり結構お金かかっちゃうんじゃないの? エイミー、そこらへんはどうなの?」
話をただ黙って聞いていた日奈子が、少し不安そうに問う。
エイミーは、日奈子のその言葉を聞くと、なぜか得意げな表情を見せる。
そして、誠人の方に顔を向けると、
「大丈夫! ノープロブレムだよ〜。……だって、宿泊費はタダだもん。ね〜、マコっち〜」
そう言って会話の主導権を誠人にトスした。
誠人は満足そうにそのトスを受けると、自信満々に、声高に話し出す。
「あぁ、そうなのだよ。ノープロブレムなのだよ、諸君。なにせ、宿泊場所は我が親戚が経営する旅館なのだからなっ!!」
『……………』
誠人の言葉に、一瞬の沈黙が走る。
「……何か、マコっちの親戚が経営する旅館だなんて、嫌な予感しまくりなんだけど」
由紀が鋭い視線を誠人に向けながら、けん制するように呟く。
誠人はその言葉に一瞬ひるんだが、気持ちを切り替えたのか、また自信に満ちた表情で話し出す。
「何を言う! あそこは中々名の知れた旅館なのだぞ!! 辺りに広がる雄大な自然、並ぶ四季折々の食事、夜になれば広大な星空を独占できる露天風呂!! そんな旅館にタダで泊まれるのだぞ!? これ以上ない贅沢ではないかっ!!」
「ん〜、まぁいいわ。そういうことにしとくよ。……で、その旅館がある場所ってどこなのさ? 結構遠かったりするの?」
「あぁ、旅館の最寄り駅までは特急列車で二時間くらいだな。そこから旅館まで専用バスが出ている。合わせて二時間半くらいってとこか」
「ふぅ〜ん。……ま、行けない距離じゃあないな。……で、肝心の日程は? いつ行く予定なのさ?」
由紀の質問に、エイミーが忘れてたとばかりに慌てて話す。
「あっ、行くのは今週末だよ! 三連休だし、ちょうどいいでしょ〜!」
「今週末か……。残念だけど、私は無理だな」
エイミーの言葉に、いち早く反応したのは高遠さんだった。表情を見る限り、あまり残念がってるようには見えないが。
「ん〜、悪いけど私も無理だわ。ちょっと部活の方が忙しくてさ」
「私も残念だけどパス。も〜、エイミーもそういうこと計画してるなら、もっと早く教えてよね〜!」
続いて由紀、泉川と、欠席の言葉を告げだす。エイミーは心底残念そうに「そうなんだぁ……」と意気消沈気味。
「あ、私は折角だから行こうかなぁ。ちょうど予定も入ってなかったし、何だか良いところみたいだしね」
「私も、アルバム発売のお祝いなんだから、参加しないわけにはいかないもんね」
「僕も大丈夫だよ。辰巳君の話を聞いてる分には、良い写真が撮れそうな気がするし」
「私もぜひ参加させていただきたいと思います。久しく温泉地にも行ってませんし、とても楽しみです」
打って変わって、日奈子、森野さん、幸樹、春日井さんは参加OKらしい。
まぁ、確かに誠人の言葉を聞く限りでは、それなりに良い場所なようだ。折角の三連休だし――
「……で、ショウはどうなの?」
「あ、俺? う〜ん……ま、特に予定も無いし、宿代タダだってんなら行ってもいいかな。俊哉さんと奈央さんにも会えるしな」
「よ〜し、じゃあ参加者決定だねっ!! ……あ、そうそう、当日なんだけど最寄の駅が違う人もいるから、とりあえず一度R'xの前で集合ってことになってるから。時間は朝五時ね〜!」
エイミーのその言葉で、廊下での集まりは解散となった。
……結局、例の彼女たちはほとんど会話らしい会話しなかったな。ま、それはそれで良かったのかもしれないけど。
由紀と泉川が不参加ってのも、ある意味良かったのかも。旅行に行ってまでギクシャクしてたくないし。
ただ、藤谷さんと森野さんは参加するみたいだしなぁ……。まぁ、少しずつ解決していくしかない……のかな。
にしても、朝五時かぁ。
――――起きれるのかぁ、俺?
* * * * *
ふと、肩に軽い衝撃を感じた。とは言っても、それほど強い衝撃ではなく、何か柔らかいものが落ちてきたような、そんな衝撃。
いったいこの感覚は何なのだろうか。……何だか意識が朦朧としていて、それを判断・認識することができない。
……でも、次第に全身の感覚が戻ってきて、少しずつ誰かの声を認識することができるように。
「……くん………ばなくん…………橘君」
何度も聞いたことのある声。……でも、何だかやけにその声を聞けたことに喜びを感じる。
もっと、この声を聞き続けていたい――――。
「橘君……橘君! 早く起きて! もう着いたよ! ……早くしないとドア閉まっちゃうよぉ!!」
「なっ!!」
「きゃっ!!」
何とかその言葉を理解することができた俺は、勢い良く目を開けて立ち上がった。
その瞬間、誰かが眼前に見える座席に倒れこんだ……みたいだ。
慌てて視線を下ろすと、そこには見事に倒れこんでいる日奈子の姿が。
どうやら、さっきから聞こえていたのは日奈子の声だったようだ。
目的の駅に着いても起きない俺を、起こそうとしてくれていたんだろう。
「ご、ごめん。……大丈夫か?」
俺がそんな言葉を日奈子に向けていると、アナウンスの声が車内に響き渡りだした。
『二番線、特急さわかぜ号、間もなくの発車となります。はい、ドア閉まります。危ないですので駆け込み乗車は――』
「マズいっ!!」
俺は叫びながら慌てて自分の荷物が詰まったショルダーバッグを肩に掛け、そして素早く日奈子に手を差し出す。
「藤谷さん、早くっ!!」
日奈子は倒れこんだ衝撃でか、少し涙目になりながら後頭部をさすっている。
日奈子が落ち着くのを待っていたら、間違いなく電車のドアは閉じられてしまうだろう。
――仕方ない。
「ごめんっ!!」
俺は日奈子が左手で自分のバッグを持っているのを確認すると、日奈子の右手を掴んで無理やりドアへと急いだ。
日奈子のうめき声が聞こえたが、申し訳ないけどもう時間が無い。
『――ドア閉まります。ご注意ください』
「……ハァ、ハァ、ハァ」
間一髪だった。
俺と日奈子は、何とか無事に下車することに成功した。
……まぁ、あまり無事とはいえないかもしれないけど。
「ご、ごめん。大丈夫?」
俺は呼吸を整えてから、無理やり引っ張ってきた日奈子に声を掛ける。
だが、日奈子は荒い息をしてうつむいたまま、こちらを向こうとはしない。
マズい、怒らせちまったかも……。
そりゃ、こんなギリギリの下車になっちまったのは、元はといえば俺のせい。
怒られたとしても、何の文句も言えやしない。
「ホ、ホントにだいじょう……ぶ?」
恐る恐る再度声を掛ける。すると、日奈子はうつむかせていた顔を上げて、何だか妙に苦しそうに呟いた。
「う、うん。大丈夫……だよ」
何だかその様子を見ていると、とても大丈夫には見えなかった。
目は潤んだままだし、息は荒いし、妙に顔が赤いように見える。
せっかく久しぶりにまともに話せたと思ったのに、こんな――
――瞬間、俺は次に放つべき言葉を失った。
ヤバい。久々の会話どころか、手までしっかりと握っちまってるじゃないか。
ど、どうしよう。妙に意識しちまう――
――なっ、何考えてるんだよ、俺は!? 別に、手を握っちまったのは仕方なしのことじゃないか。
それに、すぐに離せばいいだけのことじゃないか……。
そう思いながらも、俺は中々日奈子の手を離すことができずにいた。
なぜできないのか、わからない。……ただ、久々に触れた日奈子の手を、離したくないと思っている自分がいることには、しっかりと気づいていた。
ただ呆然と、日奈子の姿を見やる。
「ごめんなさい。本当に大丈夫だから……」
ふと気づくと、日奈子はだいぶ落ち着いたのか、軽く衣服を整えながらこちらを見据えていた。
「あっ、そ、そう? 良かった」
何とかそんな言葉を返すが、未だに日奈子の手を離すことができずにいる。
一向に手を離そうとしない俺に戸惑っているのか、日奈子はしどろもどろしながらも、次の行動に移せないでいた。
何なんだろう……この、何ともいえない不思議な感じ――
「お〜い、二人で見つめ合ってないで、早く旅館に急ご〜よ〜!」
聞こえてきたエイミーの声の方に、俺は慌てて振り向いた。
するとそこには、とっくに下車していた、俺と日奈子以外の面子が。
エイミーはやけにニヤニヤしていて、森野さんは何だか頬を膨らませている。春日井さんと幸樹は苦笑い、俊哉さんと奈央さんは、何だか微笑ましそうに俺たちを眺めている。
俺は日奈子を一瞥してから、ゆっくりと繋いでいた手を解いた。
何だかやけに手持ち無沙汰に感じてしまうが、それを気にしていても仕方が無い。
日奈子は俺が手を離したことでようやく何を言われたのか気づいたらしく、ゆっくりと集団に近づきながら慌ててエイミーに反論しだした。
「そ、そんなんじゃないんだってば! あれはその……偶然と偶然が重なり合ってああなっちゃっただけで、別に深い意味があるわけじゃないの……」
「えぇ〜、そ〜なのぉ? ……まぁ、そういうことにしとこっかな〜。まっ、旅館に着いたらいくらでも見つめ合っちゃってい〜からさっ! ……あっ、旅館に着いたらそれだけじゃ済まされないかもね〜。偶然と偶然じゃなくって、身体と身体が重なっちゃったりして〜♪」
「ちょっ、ちょっとエイミ〜」
エイミーの言葉を隣で聞いていた森野さんが、何だか泣きそうな声でそう呟く。
「あっ、そっか。マナちゃんもそ〜だったんだっけ。じゃあ……ここは仲良く三人で頑張っちゃえばOKってことで!」
「そ、そういう意味じゃなくって〜!!」
森野さんは顔を真っ赤にしながら必死に反論するが……エイミーには全く無意味なようだ。
むしろ森野さんの表情を見たエイミーは、より楽しげに更なる言葉を投げかけてくる。
「ん? そういう意味って、どういう意味〜?」
「えっ? そっ、それはその……」
森野さんは、エイミーの質問に答えることなく、耳まで真っ赤になった顔を必死に隠そうとしている。
そりゃそうだ。俺だって、その……そんなこと答えられるわけない。
「ふふっ、じょ〜だんだって、ジャパニーズジョークよ〜。……でもさ〜、せっかく旅館で泊まるんだよ〜! 一つや二つや三つくらいイベントが起こらなきゃつまんなくない? ……ねぇショウ?」
……と、エイミーは視線を俺に向けて微笑みかけてくる。
そ、そこで俺に振るか普通……。
「えっ、あ、その……ま、まぁ楽しくなればいいよな」
当然、まともな答えを返せるはずないわけで。
エイミーはその答えが不満だったのか、すねた顔に早変わり。
「ん〜、逃げたな〜ショウ!」
「いや、逃げるとか逃げないとかじゃなくてよ〜」
そう言ったきり、言葉につまってしまう。
「ねぇねぇ君たち、今回の旅行は私たちのお祝いのためなんでしょ〜? 君たちだけで盛り上がってないで、早く旅館に急ぎましょ!」
下手したらしばらくこのままエイミーの自称『ジャパニーズジョーク』ショーが続いてしまうかもしれない状況だったけど、奈央さんの言葉のおかげで何とかこの場は落ち着き、俺たちは再び旅館へと向かうことになった。
駅を出ると、すでに旅館の専用バスが停車していた。
大型のものではなく、十人ちょっとが乗れる程度のマイクロバス。
フロントガラスのところに『佐々原高校ご一行様』と書かれたボードがあり、それが俺たちのために用意されたものだということがわかる。
早速、マイクロバスに乗り込む。
……そりゃあ、特に乗る順番だとか座る席だとかは決めてなかったけど、これはどういうことなんだよ。
思わずそう愚痴りたくなるような状態に、今俺は陥っていた。
俺は今、マイクロバスの最後部席に座っているんだけど……。
「ねぇ、旅館行ったらまずどうしようか? ちゃんとした朝ごはん食べる?」
「向こうに着いたらとりあえず温泉入りたいよね?」
「あ、あぁ……そうだね」
なぜか、俺の両隣に日奈子と森野さんがしっかりと陣取ってるわけで……。
「……ねぇ、それってどっちの質問に答えてるの?」
右隣にいる森野さんが、俺を困らせるような言葉を投げかけてくる。
……はっきり言ってすごく困る。本人にその気はないんだろうから、なおさら。
「い、いや、その……どっちも…かな?」
「何だか中途半端な感じだね……」
左隣から、日奈子のみぞおちをえぐるような言葉が。
「べ、別にそういうわけじゃないけど……さ」
ハァ。ホントにこれが、ついこの前までほとんどまともに会話できていなかった相手なんだろうか。
……何だか、両隣から鋭い視線が向けられているようで……ちょっと怖い。
「まぁ、向こう着いたら温泉入って、それから朝ごはん食べるってことで……どうかな?」
――ホントに、一言一言がひやひやものだよ。
バスに揺られること二十分ちょっと。
俺たちはようやく今回の目的地である旅館『辰巳庵』へと到着した。
バスの中では両隣の二人のことが気になって、あまり外の景色を眺めることは出来なかったけど、こうやってバスを降りて見ると、赤や黄色に模様替えした木々が美しく、清涼感ある空気が心地よい。
旅館の入り口へ入ると、そこでは辰巳庵の女将さんと思われる人と……誠人が出迎えてくれた。
なにやらあらかじめ準備しておくことがあるってことで、誠人は俺たちとは別行動だったんだ。
「いらっしゃいませ。遠いところご苦労様でした。女将の早苗と申します。さぁ、お荷物は私が運んでおきますので、どうぞゆっくりくつろいで下さいね。……誠人君、お友達をお部屋に案内してさしあげて」
女将さんはとても気さくで優しそうで、しかも容姿端麗な人だった。派手すぎない緑地の和服が良く似合っている。
誠人の親戚が経営する旅館ってことは、この女将さんが誠人の親戚?
……だとしたら、似てる可能性があるのは外見だけ……だろうな。
「さて諸君、それでは部屋へと案内するからついてくるがいい!」
誠人の相変わらずのマイペースにいざなわれ、俺たちは寝泊りする部屋へと向かう。
旅館の中には、雑多にならない程度に調度品類が適材適所に置かれていて、俺たちの目を飽きさせない。
廊下から見える控えめな庭園は、何か惹き寄せる力があるんじゃないかと思うくらいに、美しく、まばゆい。
誠人が言ってた通り、確かにここは『名の知れた旅館』なんだろうなぁと、実感した。
階段を上って少し歩いたとき、誠人が急に立ち止まった。
「さぁ、ここと、この隣の部屋と、もう一つ隣の部屋が今回泊まる部屋だ! 中を見て驚くんじゃ――っておぃ! 人の話を最後まで聞きたまえ!」
誠人の言葉は無視して、さっさと部屋の中を拝見する。
――俺は、思わず目を見開きそうになってしまった。
思っていたよりも広い空間。……それも、まぁすごいとは思った。
でも、目を見開きそうになったのは、それが原因なわけじゃなくて。
「…………すげぇ」
部屋の一番奥にある、開け放たれた窓の先に見える景色。
それはもう、一面に広がる紅葉に黄葉。さらに奥に見える雄大な山脈。
まるで、その窓枠の中が一枚のポストカードであるかのような、圧倒的な景色だった。
皆も俺と同じ思いみたいで、眼前に広がる景色に感動しているようだ。
「……まぁ、この部屋だけじゃなくて、隣も、その隣も同じような景色を堪能できるから、その点は心配する必要はないぞ」
さしもの誠人も口調が和らぎ、俺たちは穏やかな時に包まれていた。
俺、日奈子、エイミー、森野さん、誠人、春日井さん、幸樹、俊哉さん、奈央さんと、俺たちは総勢九人。
そのうち男性陣が四人で女性陣が五人。そして、部屋数は三つなわけで。
さすがに男と女が同じ部屋……というわけにはいかないから、人数の多い女性陣が二部屋を使うことになる。
っつ〜ことで、男性陣は一部屋に四人ということになってしまった。
別に部屋自体が狭いわけじゃないから問題はないんだけど、どうせならもう少しゆったりと部屋を使いたかった気もする。
まぁ、何はともあれ無事に到着して一段落も着いた。……さて、これからどうしようか。
そういえば、さっき誠人が『九時半くらいに食事が届くようになってる』って言ってたな。
ちなみに、今は八時十分。まだ朝食までには時間がある。
「さて、とりあえず落ち着いたし、これからどうするか……」
自身のバッグの中身を整理していた俊哉さんが、そう呟きながら室内を見回す。
窓の近くでは、幸樹がデジカメ片手に景色とにらめっこしている。
誠人はなにやら女将さんに呼び出されたらしく、今はいない。
……と、俊哉さんの視線は必然的に俺の方に向けられた。
「翔羽君はどうする、これから? まだ朝飯までは時間があるけど」
「いや……特に決めてないッス」
「そうか……じゃあ、せっかくだし温泉にでも入りに行くか! 朝だし、きっと誰も入ってなかったりするんじゃないか? 露天風呂を二人占めってのも悪くないだろ」
「いいですね! じゃあそうしましょうか」
俺は俊哉さんにそう返すと、早速準備に取り掛かった。
露天風呂を二人占め……確かに悪くない。この旅館の露天風呂だ。きっと景色も最高なんだろう。
期待に胸を膨らませながら素早く準備を終わらせ、俊哉さんと露天風呂へ向かった。
脱衣所に入ると、すでに温泉の良い香りが辺りに漂っていた。
ドア越しに見える立ち上る湯気は、まるで俺たちの到着を待ってくれているよう。
早速、服を脱ぎにかかる。
俊哉さんも温泉を目の前にして嬉しいのか、微笑を浮かべながら服を脱ぎ始めた。
服を脱ぐことなんて、遅くても三十秒くらいあればできる。あっという間に服を脱ぎ終え、俺は俊哉さんの様子をチラッと確認。
すると、俊哉さんもちょうど服を脱ぎ終えたところだったらしく、お互い見合うような形になってしまった。
なぜか焦って、慌てて下を向く。……と、
「あっ…………」
「ん? どうした?」
俊哉さんは、思わず声を漏らしてしまった俺に、そう聞いてくる。
「あ、いや、何でもありません! は、早く入りましょう!!」
俺はそう言って、視線を露天風呂への入り口に向ける。
言えるわけないじゃないか。……アレが想像以上に大きくて、思わず声が出ちゃっただなんて。
想像通り、露天風呂からの景色は素晴らしいものだった。
あの部屋の窓から見える景色をもっと間近で見ているような感じ。
しかも、これも予定通り、露天風呂は二人占め状態だった。
さほど広い露天風呂ではないけれど、二人では十分なほどの広さはある。
ホントに、心からリラックスできる感じだ。
「これは来て正解だったな」
「そうですね。景色は綺麗だし、旅館はいいところだし、申し分ないですね」
リラックスできると、自然と会話もはずむ。
雄大な景色を眺めながら、俺と俊哉さんはしばらく会話に花を咲かせた――
――けど、俊哉さんの何気ない一言で、俺のリラックス状態は一時中断される。
「――そういえば、愛に好かれてるんだって?」
「えっ? な、何でそれを?」
「あ、いや、加賀見さん…だっけ? 彼女からそう聞いたんだけど」
「え、エイミーのやつ……」
思わず口から漏れる。
「正直ビックリしたよ。あの人見知りが激しかった愛が誰かを好きになるだなんて。ちょっと前だったら考えられなかったからな。……でもまぁ、相手が翔羽君だって聞いて、納得もしたけどね」
「……正直、俺もまだ実感わいてないんですよ。直接森野さんから言われたわけでもないし」
「何でも他の子からも好かれてるらしいじゃないか。……もてる男は辛いってか?」
「や、やめてくださいよ、そんな……」
「はは、悪い悪い」
ふっと微笑む俊哉さん。でも、その表情は真剣なものへ。
「なぁ、翔羽君は愛のこと好きか?」
「えっ? あっ、そ、それは……」
「好きじゃないのか?」
「い、いえ、そんなことは無いです。もちろん、森野さんのことは好きですよ。でも……その、さっき言ってた他の子たちも、俺にとっては同じように好きな人たちなんです。だから、誰を選ぶだとか、そういうの決められなくて……」
俺は何でこんなことを俊哉さんに話してるんだろう……。
疑問に思いながらも、話す相手が俊哉さんで良かったと思っている自分もいる。
そう、そうだ。むしろ俊哉さんに話せて良かったんじゃないか?
ずっと自分一人だけで抱え込むよりも、誰かに頼ったほうが……。
「――そういうのってな、別に急いで決めることじゃないと思うんだよ、俺は」
「は、はい」
「結局、誰かを好きになるってのは、すごく簡単なことだ。自分自身の気持ちだけで決められるんだから。ただ、それはあくまで片思いだ。それが両思いになるってのは、中々難しいことだと思う。気持ちと気持ちが繋がらなきゃいけないんだからな」
軽く伸びをしながら、俊哉さんは言葉を続ける。
「恋愛は難しい。でも、難しいからこそ惹かれるし、望むんだ。愛に対しても他の子に対しても、君はまだ恋愛対象として好きだとは思ってないだろ?」
「……多分」
「――なら、それはそれでいいんじゃないか? 現時点で恋愛対象として好きではないから『あなたとは付き合えません』だなんて、決めるのには早すぎるんだよ。恋愛対象としての『好き』に気づくまで、少しずつ気持ちを近づけていけばいい。……って、俺は思うんだが」
俊哉さんの言葉を、正直俺は曖昧にしか理解できていないと思う。
でも……何だか救われたような気がした。
心の中のもやもやが、少し晴れたような気がする。
「あの…ありがとうございます。何か少し、そのことに対して落ち着けたような気がします」
「おぅ、そうか。まっ、愛にとってもいい機会だし、存分に青春を謳歌してくれ」
「……何か俊哉さんが言うべき言葉じゃないような気がするんですけど」
「そ、そうか?」
きっと、俊哉さんなりに俺のこと、そして森野さんのことを気遣ってくれているんだろう。
でも、『青春を謳歌』だなんて、ちょっと古い気がする。
思わず、笑みがこぼれた。
「――さて、そろそろ出るか」
「あっ、そうですね」
俊哉さんとの会話も一段落し、俺と俊哉さんは露天風呂から出ることにした。
ちょっと名残惜しい気もするけど、また後で入りに来ればいいと自分に言い聞かせて出る準備にかか――ろうとしたときだった。
「……ふぅ。やっと落ち着いた。ホントにNAOさんって良く喋るなぁ」
――脱衣所の方から、聞き慣れた声が聞こえてきていた。
間違いなく、女性の声。……しかも、それはきっと、ほぼ間違いなくエイミーだろう。
「な、なんでエイミーが……」
ギリギリまで声量を落とした声で、何とか呟く。
「お、おぃ、ここってもしかして……混浴なのか?」
同じく声量の低い声で、俊哉さんが問いかけてくる。
ただ、そう言われても、そんなこと俺が知る由も無い。
……でも、確かに『男湯』だとか『女湯』だとかの区別は無かったような。
なんて思考しているうちにも、エイミーの脱衣は始まる。
「と、とりあえずどこかに隠れよう」
俊哉さんはそう言いながら周囲を見回し、
「あそこだ! とりあえずあの岩陰に隠れるぞ!」
俺を連れて、なるべく音を立てないようにしながら、岩陰へと移動した。
程なく、エイミーが脱衣を終えて露天風呂へと進入してくる。
……当然、エイミーは素っ裸なわけで。
視線を外さなければと、理性で呼びかけることは出来ても、それを実際に実行に移すことは出来なかった。
そ、そう、常に見ておかないと、いつこっちに近づいてくるかわからないし……。
……って、そんな頭の中だけの言い訳を考えてる自分に情けなさを感じてしまう。
以前、下着姿のエイミーを見たことはあるけど、今回は下着すらも着けていない状態。
しかも、当然俺と俊哉さんのことに気づいていないエイミーは、全く身体を隠すそぶりなど見せない。
やばすぎる。……今回はマジでやばすぎるって!
良く見ると、エイミーは手に何かを持っていた。
ただ、さすがにそれが何なのかまでは確認できない。
エイミーがこちらに背を向けて身体を洗い始めた時点で、ようやく俺は気づかぬうちに止めていた呼吸を再開させた。
……ただ、やっぱりエイミーから視線を外すことは出来ない。
まず、エイミーは左腕から洗い始めた。そして右腕、胴部、腹部、左足、右足、背中、…、……。
そして、続けて頭を洗い始める。
わりと長い時間をかけて洗い、そしてお湯で流――――
「なっ!?」
――――その瞬間、俺は自分の目を疑ってしまった。
目をこすって再び見やるが……どうやら俺の目は、正常に機能しているようだ。
俺の目に映る光景。それは、どこからどう見ても黒い髪を持つ、加賀見エイミーだった。
エイミーって、金髪だったよ……なぁ?
自問しながら、混乱してる頭を何とかしようと試みる。
……しかし、さらにもっと最悪な事態が起こってしまった。
「…………ショ、ショウ?」
――――思わず口から漏れてしまった声に気づいたのだろう。混乱から抜け出す間もなく俺は、眼前の素っ裸で黒髪のエイミーに見つかってしまったのだった。
いや、正確にはまだ見つかってはいない。ただ、声を察知されただけだ。
……だが、そんな希望的観測は無駄だった。
エイミーはゆっくりとこっちに近づいてきて、そして――――
「な、なんでいるの? ショウ…それにTOSHIさん……」
俺と俊哉さんは、ただ引きつった笑みをエイミーに向けることしか出来なかった。
===あとがき=====
らぶ・ぱにっく第31話、本当にお待たせいたしましたです!
何だか忙しくて、中々書き進められる状態にありませんでした。
とはいえ、遅くなってしまったのは事実。
本当に、申し訳ございませんです。
ま、まぁ過ぎてしまったことはおいといて、とにかく今話から加賀見エイミー編がスタートなわけです。
エイミー編は、中々考えがまとまらない感じで、正直手間取ってる感じです。
でも、エイミーというキャラクター自体はとてもしっかりしてるので、結果的にはいい感じに仕上がってくれるんじゃないかと思っています。
今話の終わりのほう、結構ビックリしていただけたんじゃないかなぁって思ってるんですけど、どうですかね?
エイミーの髪、こういうネタでくると想像してたかたは、中々いらっしゃらないんじゃないかと。
次話では、このエイミーの髪について、詳しく書いていく予定となっております。
コメディ要素は……が、がんばります(汗)
と、とにかく、第32話のあとがきで、またお会いしましょう!!
2005/05/23 00:06
くそぅ、誰か時間売ってくれないかなぁ……。な、状態にて。