第25話〜昼休みは、容赦なく俺に… [後編]〜

 そして次の日の昼休み。
 ……この日も、俺は見事に気を失ってしまった。――それは何故か。
 その原因は――またしても『お弁当』だった。
 日奈子は、この日も俺の分の弁当を作ってきてくれていた。
 それは……まぁ、多少なりとも予想できたこと。
 ……でも、俺の頭では予想できない事態が起こったんだ。
 なんと、日奈子だけでなく、由紀と泉川までもが俺のために弁当を作ってきたんだ。
 机の上に並ぶ、三種の弁当たち。
 形は違えど、俺のために作ってくれたものだという事実は、どれも変わらない。
 俺がその弁当たちとにらめっこしていると、三人が一斉に詰め寄ってきた。

「昨日はお弁当メチャクチャになっちゃったから、今日はゆっくり食べてね」
「ダ〜メ! 今日は私が作った弁当を食べてもらうんだから!」
「何言ってるの。今日は私の弁当よ。……ね、翔羽」

 ……ホント、どうしちゃったんだよ、三人とも。
 そんなの、選べるわけないじゃんか。
 さすがに全部を食べることなんて出来ないだろうし。
 そう思いながら弁当に手をつけられないでいると、泉川が自分が作った弁当を持って、話しだす。
「……なんなら食べさせてあげようか? ほら、あ〜〜ん」
 言いながら、おかずを箸でつまんで口元に差し出してくる。
「お、おい! そ、そんなことしないでいいから! とりあえず箸置けって!!」
「じゃあ……ちゃんと食べてくれる?」
 何とも淋しげな表情で瞳を潤ませながら、泉川は訴えかけてくる。
 そ、そんな顔されたら、下手に断れないじゃないかよ。
「わ、わかった! わかったから!!」
 俺がそう言うと、泉川はさっきの表情が嘘のように、満面の笑みを見せた。……が、
「ちょっと〜! 委員長、それって何か卑怯じゃないの!?」
 由紀がそう言って、俺の行動に待ったをかけた。
「あら、そんなことないわよ。……ねっ、翔羽」
「え? い、いや、その……」
「う〜!! だ、だいたい『翔羽、翔羽』って、何があったか知らないけど、この前から親しくなりすぎなんだよ!」
「い〜じゃないの、別に。それに――」
 泉川は、妙に自信に満ちた表情を由紀に向けながら、予想外な言葉を続けた。
「――私と翔羽、この前デートしたんだもんね〜」
「お、おぃ! 何言い出すんだよ、泉川!」
 泉川の突然の告白に、俺は動揺を隠すことが出来なくなっていた。
 思わず椅子から立ち上がって叫ぶ。
「デ!? デートぉ!? ど、どういうことだよ橘っ!!」
「……どういうことなの? ……橘君」
 由紀と日奈子は泉川の告白を聞くと、驚きを隠すことなく、俺の腕を引っ張りながら問い詰めてくる。
 俺は……言葉に詰まっていた。
 泉川自身が言い出したことではあるけど、俺の口からこの前の『即席偽者カップルとしてのダブルデート』について話していいものかどうか、わからなかったんだ。
 だいたい、泉川も自分からこんなこと言ったりして……どういうつもりなんだよ。
 ずっと黙ったままでいる俺の様子を、泉川はやけに楽しそうな表情で見つめていた。
 まるで、何か全てが予定通りに進んでいるというような、充実感に満ちた表情だ。
「ま、とにかく私は翔羽とデートした。……それは間違い無いわよ。ねっ、翔羽〜」
「そ、そりゃ確かにそうだけど、あれは……」
「何なんだよ?」
 言葉を濁すと、由紀がすかさず、俺の腕を引っ張ったまま鋭い表情でつっこんでくる。
 俺はもう、とにかく逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
 何故、泉川や由紀や日奈子がこんな行動を起こしてくるのか。その理由がまったくわからないでいる俺にとって、彼女たちの行動は、もはや恐怖の対象にまで上り詰めかけていたんだ。
「おぃ、橘!」
「橘君……」
 相変わらず言葉に詰まっている俺に向かって、容赦なく追撃の言葉が襲いかかる。
(と、とりあえず何か言葉を返さないと……。でも、どう返す?)
 冷汗が、否が応にも滲み出てくる。
 顔色がどんどん悪くなっていくのが、手に取るようにわかる。
 そして、精神的な苦痛の真っ只中に立たされている状態でも、確実に脳を刺激する空腹感。
 その全てが、俺の状態を悪化させていた。
(どうする? ……どうする?)
 悩んでも、一向にに口にすべき言葉は浮かんでこない。
 そして、そんな俺の意思とは無関係に、腹の虫が勢い良く音をたてる。
「ほら、言い争ってたら翔羽がご飯、食べられなくなっちゃうでしょ。はい、あ〜〜ん」
 言いながら、泉川は再びおかずを箸でつまんで口元に差し出してくる。
 日奈子と由紀によって両腕を押さえられている俺は全く身動きを取ることが出来なかったし、空腹が限界に達していたのも事実だから、俺はしかたなく素直にそれを受ける体勢に……入ろうとしたが、
「ダメっ!」
 由紀の手が、俺の口元をしっかりと塞いでいた――っつ〜か、『しっかり』すぎていた。
 由紀はものすごい勢いで俺の口元を塞ぎにかかっていた。
 そう、まるでビンタでもくらわすかの如く。
 おかげで、俺の身体は思いっきり背後に傾き、そしてそのまま倒れてしまった。
 ――見事に、後ろの席の机の縁に、俺の頭がクリーンヒット。

「んんっ!!」

 ――――乾いた音がハッキリと聞こえたのを最後に、俺の意識は一瞬で失われたのだった。


 気が付くと、やはりそこには見慣れた天井。
 ゆっくりと起きあがって周囲を見まわすが、そこには誰も存在していない。
 後頭部に軽い痛みを感じながらも、時計で時刻を確認する。
 ……もうすぐ五時限目が終わるといった時間だ。
 そして、確認が終わるのと同時に、チャイムの音が響き渡った。
 少しすると、廊下のほうから勢い良くこちらに向かって走ってくるような音が聞こえてくる。
 視線の先にあったドアが勢い良く開かれ、そこから人がなだれ込んでくる。
 ――由紀と日奈子と泉川と森野さんだった。

『大丈夫!?』

 見事にハモって、四人の声が一斉に向けられる。
「あ、あぁ。大丈夫……だよ?」
 その勢いに、思わず返答が疑問系になってしまう。
「あ、あの……悪かったな。その……わざとじゃないんだ」
 由紀は俺の様子を確認すると、後悔の念を表情に表しながら、申し訳なさそうに呟いてくる。
 まぁ、わざとじゃないのはわかる。
 っつ〜か、わざとそんなことやられたりしたら、由紀の人格を疑っちまうよ。
「……わかってるって。でも、あれはちょっと酷すぎるぞ〜」
 俺が冗談めかしながらそう返すと、由紀はホッとした様子で会話を続けだす。
「ホント、悪かったって。……でも、あれは委員長があんなことするからいけないんだよ」
「あら、別にいいじゃない。何にも悪いことはしてないと思うけどぉ?」
 泉川の余裕のうかがえる言葉に、由紀は表情を歪ませる。
「べ、別に悪いとは言わないけど、やりすぎなんだって!」
「別に、だったら貴島さんも同じことをすればいいだけじゃないの? 私は別に構わないわよ?」
「う〜!! 何か委員長、性格悪くなってるぞっ!」
「そんなことないわ。ただ、自分の気持ちに正直なだけよ」
 泉川はそう言うと、視線を俺の方に移して意味深な笑みを浮かべた。
「な、何だよ?」
 思わず尋ねるが、それに対する返答は無し。
 ただ、変わらずの笑みを浮かべているだけだった。
 ……一瞬、沈黙が保険室内を包み込む。
 何だか、その沈黙が今の俺にはとても息苦しいものに感じられる。
 ――この眼前に居る四人から感じる、何とも形容しがたい圧迫感のせいだろうか。
 その圧迫感の発生理由がわからないから、余計に違和感が増して息苦しい。
「……とりあえず、六限に遅れてもまずいから教室に戻ってなよ。俺は大丈夫だからさ」
 俺はその息苦しさに耐えきれなくなって、そんな言葉で四人に帰室を促す。
 その言葉を聞いた四人は、少し安心した様子を見せながら、簡単な言葉を残して保健室から出ていく。
「……あっ、そうだっ!」
 ――が、最後に出ていこうとした森野さんがふと振り返り、何か思い出したかのような表情を見せながら言葉を掛けてきた。
 そして、先に出ていった三人が保健室に戻ってこないことを確認してから、そっと俺の前に近づいてくる。
(このパターン、何かヤバい気がする……)
 ……なんて思ったが、森野さんが掛けてきた言葉は、俺にとって良い知らせを告げるものだった。
「あのね、今bonheurの新曲を作っててそれがとりあえず形になったんだけど、もしよかったら明日MDに録音して持ってくるから聴いてみてくれないかな? ……一応、今回始めて作詞を担当してて、ちょっと……出来が不安なんだよね」
「あぁ、俺なんかでよければ。っつ〜か、bonheurの未発表の新曲を聴けるなんて、そんなチャンス滅多に無いしね」
 俺がそう答えると、森野さんは「絶対だよっ♪」と言いながら、弾む足取りで保健室から出ていった。
(bonheurの新曲かぁ。……俊哉さん、どんな曲を作ったんだろ? ……楽しみだな)
 そんなことを思いながら、俺は明日のことを想像してゆっくりとベッドに倒れこむ。
 後頭部にはまだ痛みが残っていたけど、そんなことを忘れさせるくらいに、明日という時間が楽しみでならなかった。


 ――そして、今日。
 俺は、意気揚揚と学校に登校していた。
 昨日から今日に至るまで、頭の中はbonheurの新曲のことでいっぱいだったんだ。
 bonheurは、短い期間のうちにその知名度を見る見るうちに上げていた。
 ついこの前偶然見た音楽情報誌のインディーズバンド特集にも、その名があったりしている。
 そんなbonheurの未発表の新曲をいち早く聴くことが出来るんだ。
 意気揚揚としないわけがない。

 教室に入ると、待ちかねたかのように森野さんが一目散に俺の前に駆け出してきた。
 森野さんは、その手にポータブルMDプレイヤーと一枚のMDを持っている。
「おはよう! はいこれ、昨日言った新曲が入ってるから。……休み時間にでも聴いて。よかったら昼休みに感想聴かせてね♪」
「あぁ、そうさせてもらうよ。昨日からずっと楽しみにしてたんだぁ。……今回も作曲は俊哉さんがやってるんだろ?」
「うん。何だか、最近やけに張り切ってるみたいでさぁ。……雑誌とかで紹介されたりしたからかなぁ?」
「あぁ、俺も見たよ、その雑誌。『期待の新星』なんて書かれちゃって、すごいじゃん!」
「へへ、まぁね」
 ……そんな雑談をしてると、いつのまにかホームルーム開始のチャイムが。
「あっ、じゃあまた後で。歌詞のチェックもお願いね♪」
「おぅ!」
 その言葉を最後に、俺は森野さんから離れて自分の席に。
「おはよう、橘君」
 そして、いつものように日奈子が挨拶をしてくれる。
「おはよう」
「あの……昨日はホントにゴメンナサイ。それに一昨日も……」
「あぁ、もう過ぎたことだから気にしないで。頭の痛みも一晩寝たら無くなったしさ」
 ホント、日奈子にはいつも謝られてる気がするな。
 まぁ、そのことに関して悪い気はしないんだけど。
 耶枝橋先生が教室に入ってきて、ホームルームがスタートする。
 ふぅ……早く終わらないかな。

 ニ時限目が終わった後の休み時間に、俺は森野さんから受け取ったMDを聴いた。
 MDに入っていたbonheurの新曲は、曲調も歌詞も、何とも寂しげなものだった。
 ……けど、その寂しさの中にも、しっかりと『前向きさ』が盛り込まれている。
 今さら……言う必要も無いかもしれないけど、改めて、森野さんが変わったということを実感することが出来た。
 ――森野さん自身が、この新曲の作詞を手がけているという事実から。
 俺は、曲が流れ終えると、間髪いれず再び始めから流し始めた。

 ++++++++++++++++++++

      bonheur - Shin-Do

 ++++++++++++++++++++

 あの頃の 優しい 思い出が
 木枯らし 舞い 空に飛んでく

 お気に入りの ルージュ まとって
 飛び込んだ 眠らない ラビリンス

 夜の街を 何も怖れず
 歩きまわる ことで
 強くなれる 負けなくなる
 そう 思っていたよ

 ビルの谷間で 見上げた夜空
 刃のような 三日月が
 私をそっと にらんだ
 星のピアスが 似合うと言ってくれた キミ
 今 星は見えない……


 心の闇 うずく胸に
 光るものが あれば
 やり直せる 乗り越えられる
 そう 教えてくれた

 「答え≠フ無い道 進むしかないよ」
 かげろう作る 灯が
 私にそっと 投げかけた
 「だってもともと 答え≠ネんて無いんだよ」
 頬 つたうよ涙……


 苦しいけれど 悲しいけれど
 受けとめなくちゃ いけないこと
 あるから……

 寂しいけれど 切ないけれど
 忘れちゃいけないことだって
 あるから……


 La la la……

 ++++++++++++++++++++



「……ん。……くん! ……橘君!!」
 ふと聞こえてきた言葉に、俺は意識を移す。
 声の主は……日奈子だった。
 何だか、随分と必死な様子。
(何だ? どうしたんだろ……)
 なんて思っていると、前方から数学の先生のイラついた声が聞こえてくる。

「授業中に寝ながら音楽鑑賞とは、随分と余裕だなぁ……橘ぁ」

 ……一気に冷汗が吹き出してきたのは、言うまでもない。
 教室内を、追い討ちをかけるような失笑が包み込んだ。


 ――そして、昼休み。
 ……俺は、昼休み開始のチャイムを聞き取ると、間髪入れずに教室から立ち去ろうとしていた。
 それは、一昨日・昨日と、日奈子や由紀や泉川が作ってきてくれた弁当のおかげで散々な目にあっていたから。
 弁当を作ってきてくれること自体は嬉しかったが、さすがに三日連続で気絶するのは避けたかった。
 多分、三人はまた弁当を作ってきてくれているだろう。
 俺には、その中のどれかを選ぶことなんて出来ないし、何よりまた三人が言い争う姿を見たくはなかった。
 席を発った瞬間、日奈子から声を掛けられたが、何とか適当な言葉を返してその場を乗り切る。
 そして教室から無事出ることが出来ると、大きく溜め息を吐いた。

「――――橘君」

「うわっ!!」
 突然背中を叩かれ、思わずそう叫んでいた。
 大きな不安感を感じながらも、ゆっくりと振りかえる。
 するとそこには――
「新曲、どうだった?」
 ――そこに居たのは、笑みを浮かべた森野さんだった。
 俺はさっきとは違った意味での大きな溜め息を吐く。
「なんだ、森野さんか。……あぁ、すっごく良かったよ。まず、最初のイントロがメロ部分に――」
 俺が、素直に良かったところを告げようとすると、森野さんはそっと俺の口元に手をかざし、
「とりあえず、廊下じゃなくて別の場所で話さない? ……屋上とかさぁ」
 そう言って、空いている手で天井を指差す。
「あ、あぁ……そうだね」
 俺が少し恥ずかしがりながらそう答えると、森野さんは素早く俺の手を掴んで屋上への階段へと向かっていく。
「ちょ、ちょっと待てって!!」
 あまりの勢いに俺は慌ててそう叫ぶが、森野さんの行動が止まることはなかった。


 屋上に着くと、肌を突く冷たい風に思わず身震いをしてしまう。
 もう、何だかんだ言って十月もあとわずか。
 季節はまだまだ秋だけど、着々と冬の息吹が芽生え始めているみたいだ。
 とりあえず、適当な段差になっている場所に腰掛ける。
 それから、俺は改めて曲の感想を話し始めた。

 イントロはわりと明るめな曲調なのに、メロ部分に入る瞬間、いきなりマイナーコードで曲調が暗いものに変わる。
 そして、メロ部分からサビに入っていくところで、微妙に、まるで明るい兆しのようなものを感じさせるようにメジャーコードが入ってくる。
 その転換が、とってもこの曲の印象をしっかりとしたものにしている。
 それに、ハッキリと耳に残るものとなっている。
 さすが俊哉さん。……といったところだ。
 ――そして、歌詞。
 もちろん、俺は作詞家ではないから、正確な評価をすることは出来ない。
 ……でも、単純に、メロディと共に伝えられるこの歌詞は、俺の中にしっかりとした世界観を作り出させていた。
 きっと、聴いた人にちゃんと『イメージ』を与えられる歌詞になっているということだろう。
 それは……それがちゃんとした『歌詞』である証拠なんだと、俺は思った。

 そういった内容の言葉を伝えると、森野さんは、
「良かった〜! それじゃあ、問題無く新曲として発表出来るね♪」
 そう言って満足そうに微笑んだ。
 とってもほんわかとした空間が形成され、何だかゆったりとした時間が流れているように感じる。
 吹いていた風も弱まり、太陽の日差しが俺たちの身体を緩やかに暖める。
 微笑む森野さんを見ていると――その空間の雰囲気に反して、なんとも情けない腹の虫の音が響き渡った。

「くすくす、お腹空いたよね〜。――はい!」

 森野さんはそう言うと、いつの間に持っていたのか、オレンジ色の包みに包まれた弁当を差し出してきた。
 ちゃっかり、自分のぶんも手に持っている。
「うっ!!」
 突然差し出された弁当に、俺は一昨日・昨日のことを思い出してしまい、つい唸りながら顔を引いてしまう。
 森野さんはそんな俺に向かって、声を出して笑いながらこう答える。
「あははっ! 大丈夫だって。ここには皆、居ないから〜♪」
「そ、そうだよな。……ハ、ハハ」
「……だから、ゆっくり食べてね♪」
 ――確かに、メチャクチャお腹は減っていた。
 周りを見まわしても、人の居る気配はしない。
(……これなら、誰かに何か言われることもないだろ)
 そう思い、俺は素直に森野さんが差し出してきた弁当をいただくことにした。
 ゆっくりと包みを解き、蓋を開け、その中身を確認す――




「……………」




「ん? どうしたの?」
 ……俺の表情の変化に、森野さんは俺の顔と弁当を交互に見ながら尋ねてくる。
 だが、森野さんのその表情は変わらずの笑顔。
(……何で、これを見て笑顔でいられるんだ?)
 俺は、ハッキリとそう思ってしまった。
 何故かと言うと――その弁当が、あまりにも『悲惨な姿』を見せていたからだ。
「ど、どうしたのって……」
 呆けながら呟き、改めて弁当の中身を確認してみる。

 白身魚……だと思われるものが、これでもかというくらい真っ黒に日焼けしている。――っつ〜より炭?
 ゆで卵……だったはずのものが、見るも無残に粉砕骨折している。――良く言えばスクランブルエッグ?
 ジャーマンポテト……にしようとしたであろうものが……何故か赤い。――ってかこれ何?
 白いご飯……確かに白いけど……弁当箱を傾けると水溜りが出来る。――おかゆ? いや、もはや流動食? それとも宇宙食?

 俺が目を点にしながら弁当を眺めていると、森野さんは今だ相変わらずの笑顔で、
「ほらっ、お腹空いてるんだから遠慮しないで食べなって♪」
 そう言って、手を伸ばしていなかった箸を持って、謎の『ジャーマンポテト?』を掴み、そして半開きになっている俺の口の中に無理矢理押し込んできた――





「――うっ、うぅ? ……ん? ……あ、あぁ……ギャァ〜〜〜〜っ!!」




 ――何が起きたのか全く理解が出来なかった。
 ただ、口の中を何かが、めまぐるしい連携攻撃で攻め込んでくる。
 甘くて、辛くて、苦くて、酸っぱくて、渋くて、しょっぱくて……痛い。
 そして、ほんの数秒で口の中の感覚が無くなる。
 俺はとにかく屋上の敷地内を無意識に走りまわっていたが、次第に足の動きが鈍くなり、そして……倒れた。
 何で倒れたのか、詳しい原因はわからない。
 ただ、一つ確実に言えること……。

 ――あれは、劇物だ。あれを所持するには危険物取扱者資格が必要だ。……絶対そうだ。


 * * * * *


 ――まぁ、そんな感じで今にいたっているわけだ。
 ってか、改めて思えば、全三回のうち二回は女性恐怖症が原因なわけじゃないじゃないか。
 ……なんか、それはそれで情けない気がする。
 そう思いながら溜め息を吐いていると、隣から唸るような声が聞こえてきた。
 突然の声に少し驚きながらも、声が聞こえてきた方を向くと、そこには辛そうな表情を見せながらベッド上で寝ていた身体の上体を起こそうとしている誠人の姿があった。
「あれ、珍しいじゃん。……ひょっとしてサボりか?」
 俺が適当に予想しながら言うと、誠人は嫌な思い出を振り返っているような表情を見せながら言葉を返してくる。
「ふっ、それは違うぞ、橘。この原因は……そう、それは橘、お前にあるんだ」
「はぁ? ……何で俺が原因なんだよ?」
 意味がわからずそう呟くと、誠人は急に表情を厳しいものにして叫びだした。

「『何で』だと!? 貴様、よくもそんなこと言ってくれるな!! ――お前がなぁ、森野 愛嬢が作ったあの愛のラブラブ弁当を食べた後に倒れたりするから、愛嬢から『これ、橘くんのために作ってきたんだけど、橘くん、食べたらすぐに倒れちゃって……体調悪かったのかなぁ? ――とにかく、余ってもしょうがないし、折角だから辰巳くん食べてよぉ』なんて言われて、女性から差し出されたものを拒むわけにもいかず、どう見ても毒素含有量がハンパじゃなさそうな代物だったが食させてもらい……その結果、この地に送りこまれたというわけだ。――だいたい、あれは何なんだ? あの、炭としか言いようのない物体は!? 噛んだ瞬間にとてつもない苦さと共に襲いかかってくる、物凄い悪臭と痛みっ! あれを食べ物と呼んで良いのか!? いや、そんなわけない。あれを食べ物と呼んでしまっては、他の健全な食物たちに失礼だ! 食物を蔑如しているのと同じだ!! だが、そんな未確認物体を愛嬢は何の躊躇いもなく、そして身体に何の変化も見せずに食していた。……ん、まてよ? そんな彼女こそ何者なのだ? あれを普通に食せる人物……そんな人間がこの世に存在して良いのか? ……い、いかん。そんなことを考えていては、女性である彼女を侮蔑することと変わりないではないか! だが、どう考えても生理上考えられん。……まさか、愛嬢の体内には毒素を中和する何か特別な臓器が存在するのでは!? もし、そうだとすれば、これは人類の進化の過程における、新たな大発見なのではないのか!? もし、そうであるならば、彼女があの未確認物体を食することが出来ることも納得出来る。……やはり、ここは愛嬢に直接――」

「――だぁ〜! ストップストップ!! とりあえず落ちつけっ!!」
 俺は、このままではいつまで経っても終わりそうにない誠人の話を何とか止めようと、めいいっぱい身体全体でジェスチャーをしながらそう叫んだ。
 誠人はそれで何とかその話を止め、呼吸を整えるために軽く深呼吸をし始める。
 そして呼吸が落ちつくと、再び俺に向かって言葉を放ち始める。
 ……だが、今度はさっきと違って冷静な様子だし、口調も落ちついたものだ。
「――まぁそれはともかく……橘、お前ここのところ大変みたいだな。毎日のように弁当攻めにあってるだろう? ……まぁ、弁当を作ってくれること自体は嬉しいことなのかもしれないが」
 俺は、誠人がまともなことを話してくることにホッとしながら、ゆっくりと、返答すべく口を開き始める。
「あぁ。……ホント、最近の藤谷さんと由紀と泉川と森野さんの行動はよくわからないよ。……俺のために弁当を作ってきてくれたと思えば、いきなり俺の前で口論し始めたりするし。いったい何を考えてるんだか――」
 俺が呟いていると、誠人は突然真剣な表情を見せる。
 そして、寝ていたベッドから降りると、俺の肩をきつく掴んできた。
「お前……それ本気で言ってるのか?」
「……は? な、なんだよ急に? だいたい『本気で』って――」
「――ハァ。お前、とんでもない鈍感野郎なんだな」
「はぁ、お前もその言葉を俺に向けてくるのか。……いったい何なんだよ? 由紀も泉川も『鈍感』って言葉使ってきたけど」
 少し苛立ちを感じながらそう返していると、誠人は俺よりも更に苛立っているような表情で言葉を返してくる。
 おちゃらけたタイプの誠人が会話の相手だったというのもあるのか、俺は何の緊張感も緊迫感も無くその誠人からの言葉を待っていた。
 ――だが、誠人が投げかけてきた言葉は、俺にとって物凄く衝撃的なものだった。



「ふっ、やはり言い直そう。そこまでかの女性たちの気持ちに気付いていないだなんて、お前は鈍感なだけではなくとんでもないバカ野郎だ。――いいか、よく聞けよ。本来なら、こういったことは自ら気付くべきことだと思うが……お前の場合は救いようの無い鈍感野郎だから仕方が無い。
 ――彼女たちはなぁ、何故かわからんがお前のような鈍感バカ野郎のことが好きなんだよ! 『好き』ってわかるか? ラブだよラブ!! アンダスタン?」



 ――頭の中が大大大交通渋滞状態に陥っていた。
 交差点の信号機が故障して、思考という名の様々な車両が衝突事故を起こしている。
 冷静という名の緊急車両がすぐに救援に来るが、中々渋滞は治まらない。
 ただ、交通渋滞の事実を知らせる電光掲示板はしっかりとその役割を果たしていた。
 『アンダスタン?』に対する俺の答えは、とりあえず『イエス』だ。

「な、何言ってるんだよ? お、俺のことを好きだって? 好きって……『好き』ってことだよな? い、いや、違うだろ。だ、だいたい何を根拠にそんな――」
「今までの彼女たちの行動が完璧に根拠になっているではないか! 好きでもない輩に手作りの弁当など作ってくるか!? 愛嬢は自身が初めて参加したライブの終了後に、頬ではあるが確実にお前にキスをしているし、日奈子嬢はさざなみ祭の演劇上演中という公衆の面前で、お前に本来はフリでいいはずのキスをしっかりと口にしている。更に由紀嬢とは確執の後に生まれた絆のようなものが生まれているであろうし、香織嬢とは……何やらデートをしたらしいではないか。……まぁ、傍からお前たちの会話を聞いてるぶんには、どうやら本来あるべきデートとは違うものみたいだが。……しかし、実際にデートをしたということは事実だろうし、香織嬢自身、自らデートのことを公言している。
 ――もはや彼女たちがお前のことを好きだという事実を疑う余地など、どこにもないではないか、橘」
 始めは強く、そして次第に珍しく優しいものになっていった誠人の口調が、よりその言葉に信憑性を与えているように感じて――俺の中で、『何か』が崩壊すると共に、また『新たな何か』が生まれ始めているように感じた。
 俺は、話し終えた誠人に対して、言葉を返すことが出来ない。

(日奈子が、由紀が、泉川が、森野さんが、揃って俺のことを好きになってくれている。好きになって……くれている?)
 ――俺は、『誰かに好かれている』という状態になったことがなかった。
 だから、その状態になった時、いったい自分の中にどんな感情が湧きあがってくるのか全くわからない。
 せいぜい、本やTVなどの情報源から受け取った『イメージ』でしか、この状況を理解することが出来ないでいる。
 ただ、好かれているということは、その対象に何らかのアクションを返さなければならないということはわかる。
 ……でも、『誰かのことを好きになる』という感情は、幼い頃の記憶から何となく引き出すことが出来るが、じゃあ実際に今はどうなんだと聞かれても、俺はそれに答えることが出来ないだろう。
 だって、俺は――――


 ――――日奈子も由紀も泉川も森野さんも、ただ単純に『好き』なんだから。


 当然じゃないか。
 佐々原高校に転入する前は女性恐怖症のせいで全くと言って良いほど女友達なんていなかったのに、転入してからは自分でも信じられないくらい簡単に女友達と呼べる人が出来たんだ。
 日奈子にしても、由紀にしても、泉川にしても、森野さんにしてもそうだ。
 そんな皆のことが、好きじゃないわけないじゃないか。
 皆、大事な友達なんだから。でも――

 ――でも、『それだけ』じゃダメなんだろうか。


 結局……まぁ、当然のことかもしれないけど、いくら考えてもその『答え』は導き出されてこなかった。
 ただ『事実』だけが、ようやく交通整理の済みはじめた道路を走りつづけている。
 『好かれている』ということを念頭に置いて考えてみれば、確かにそれらしい出来事はあったんだ。
 日奈子はさざなみ祭でのこと。由紀は体育祭でのこと。泉川はダブルデートでのこと。森野さんは初ライブ前後のこと。
 どれも、俺のことを嫌っていたら起こり得ないことだろう……きっと。
 ……でも、俺はそれに今まで気付くことが出来ずにいた。
 いったい、そんな俺に対して、皆はどう思いながら行動を起こしていたんだろう――


『橘君、大丈夫!?』


 ――聞こえてきたのは、さっきからずっと頭の中で話題になっている女性四人組の声だった。
 何とも心配そうな声。
 とりあえず、俺は揃って掛けてきた声に答えようと、視線を四人の方に向け――――




 ――――――――あれっ?




 何だ?



 何なんだ? この……



 この……感情?



 ヤ、ヤバイ……




 ――心臓が、物凄く早く鼓動していた。
 そしてその音が、物凄く大きな音に聞こえた。
 急に視野が狭くなって――
 意思を無視して、瞳が捉えるものが限定される。
 写し出されているのは、四人の表情。
 暑い。……物凄く暑い。
 とにかく――顔が。


「だ、大丈夫だからっ!!」


 ――俺は、突発的に視線を逸らしながらそう叫んでいた。
 そして、間髪いれずにベッドから飛び降り、一目散に保健室から飛び出す。
 廊下に出てすぐ、保健室から何やら叫び声が聞こえてくるが、けして振り向くことはない。
 そのまま階段をひたすら上り、階段の最終地点――屋上まで辿り着いた。
 屋上の敷地内に入ってから、おもいっきり深呼吸をする。
 ……そうやって、火照った顔を冷ます。

 ――ダメだったんだ。
 理由なんて、全然わからない――いや、何となく……わかるかも。
 とにかく、俺は……俺は――――




 ――――俺は、あの四人の顔を直視することが出来なくなってしまっていたんだ。


 ===あとがき=====

 第25話、ようやくお届けすることが出来ました。
 待って下さっていた方々、お待たせいたしましたです。

 えと、『昼休みは、容赦なく俺に…』の後編ですね。
 前編では物凄く痛い思いをしていた翔羽君ですが、後編では……やっぱり痛そうでしたね(笑)
 でも、正直言えば、そういった部分は雰囲気さえ出ていればいいんです。私としては。
 むしろ一番必要な部分は最後の方の部分なので、そこがしっかりしているならば、この第25話は上手くいったということになります。
 まぁ、なにはともあれ、ついにあの翔羽君が女性陣から好かれているという事実を知ったわけです。
 いったいこれからどういう展開が待ち受けているんで――
 ――というところで、一つの疑問が生まれてきます。
 そう、女性陣はあの四人だけではなかったはずですね。
 非常に影が薄くなり始めているかもしれませんが、まだ『春日井風音』、『加賀見エイミー』、『高遠明日香』という三人が存在しているんですよ!
 ……ホントに影が薄くなってそうですけど(汗)

 っつ〜わけで、次話ではその中の誰かのお話を綴っていきたいと思っています。
 今のところ有力なのは『高遠明日香』編かな?
 まぁ……そこらへんは臨機応変にやっていきますので、またゆっくりとお待ちいただけるとありがたいです。

 2004/08/30 14:07
 九月からは忙しい日々が……な状態にて。



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