第24話〜昼休みは、容赦なく俺に… [前編]〜

 ゆっくりと閉じられていた目を開くと、毎度おなじみの天井がそこに――
 ――という展開が、ここ数日続いていた。
 今も、その常に外れることなく、俺の視線の先にはその天井が広がっている。
 そう、ここは俺が何度もお世話になっている保健室。
 ……つまりここ数日、毎日のように気を失ってしまっているんだ。
 正直、それまで結構気絶せずに済んでいたから、女性恐怖症もだいぶ和らいできたんだと思っていた。
 この前の泉川の一件の時も、結局気を失うことなく済んだし。
 ……でも、実際はこんな状態。
 ――やっぱり、気持ちの問題なんだろうか。
 確かに、泉川の一件の時はダブルデートのことで緊張しきっていたから、女性恐怖症のことなんて全く頭になかったし、泉川と接触することも、事前に手を繋いだりして練習したためか、女性恐怖症に関しては全く問題無かった。
 でも……そう思って気持ちを引き締めたつもりだったけど、結局今日もこの有り様。
 まだ、女性恐怖症を完全に克服するためには、何かが足りないのかもしれない。
 ……まぁ、その『何か』がわかるようなら、こんな風にいちいち悩んだりはしないんだけど。
「あっ、気付いた。どう、気分は大丈夫?」
「はい」
 意識が回復してすぐに真中先生から声を掛けられても、もう驚くことは無くなっていた。
 それが、真中先生の毎回のパターンだから。
「ホントに?」
「ほ、ホントに」
 ……とは言うものの、まだ瞳を潤ませながら顔を近づけてくるという真中先生の行動には、全く慣れることが出来ていないけど。
 真中先生が安心した様子で俺が寝ているベッドから離れていくのを確認してから、俺はここ数日のことを想起しながら頭を悩ませる。
(いったい、どうしたっていうんだよ、皆……)


 * * * * *

 きっかけは……そう、多分先週の金曜日――十月二十四日。
 その、昼休みの出来事。
 その日、俺は重大なミスを犯してしまっていた。
 毎日のようにお世話になっている購買で、必須アイテムである『スペシャルコロッケサンド』と『ボリュームハムカツサンド』を入手することが出来なかったんだ。
 ……それだけなら、まだいい。
 更に、落ちこみながらも妥協して買った『ソースヤキソバロール』を、人ごみに溢れる購買前で落っことしてしまったんだ。
 咄嗟に拾おうとしたが、時すでに遅し。
 『ソースヤキソバロール』は無残にも、学生に着用が義務付けられている上履きによって、見事に踏み潰されてしまっていた。
 それはもう、跡形も無くペシャンコに。
(あぁ! 俺のヤキソバロール〜!!)
 なんて嘆きながらも、慌てて代わりのものを購入しようとしたが、
「ごめんなさいね〜。もう、今日は全部売りきれちゃったわ」
 購買員のおばさんによる容赦無い言葉が、俺に『昼飯ぬき』という現実を知らしめていた。

 思いっきり気落ちしながら教室に戻ると、そこでは弁当を広げているクラスメイト達が楽しそうに談話をしていた。
(き、気まずいし居場所がない……)
 なんて思いながら頭を垂れていると、
「あれっ? 今日はパンじゃなくてお弁当なの?」
 日奈子が自分の席で弁当をつつきながら、珍しいものを見ているような表情で話しかけてきた。
 俺はゆっくりと自分の席に座りながら、大きな溜め息を吐いて言葉を返す。
「いや……実は購買でパン買えなくてさぁ。おかげで昼飯無しってわけ」
「あっ、ゴメン。そうだったんだ」
 日奈子は申し訳なさそうにそう返してくる。
(こんなことでいちいち謝らなくたっていいのに。……でも、日奈子らしいよな)
「あれっ? そういえば由紀は? いつも一緒に食べてるのに、珍しいじゃん」
「あ、何か今日は部活のミーティングを昼休み中にやっちゃうらしくて、体育館に行っちゃってるの」
「へぇ、そうなんだ。……じゃあ他のヤツと一緒に食べればいいのに」
「うん、そうなんだけど……私、他の人の輪の中に入るの苦手で……」
 言われて周囲を見まわしてみる。
 確かに、周囲で弁当を食べているクラスメイトたちは、それぞれ数人によるグループを形成していて、普段から話している人じゃない限り、中々入りこむのは難しそうだ。
 俺が納得していると、日奈子は俺を見ながら遠慮気味に呟き始める。
「あの……良かったら私のお弁当、少し食べる?」
「えっ?」
「あっ、別に嫌だったらいいの。でも、何にも食べないのは良くないと思うし……」
「い、いや、別に嫌ってわけじゃないんだけど、その……いいのか?」
「うん。良かったら食べて」
「それじゃあ……」
 言いながら、日奈子の手にある弁当を見る。
 弁当の中身は、まだ半分以上残っていた。
 白いご飯、卵焼き、鳥の唐揚、ポテトサラダ、それにカットされたリンゴ。
 すごく美味しそうで、見ているだけでお腹が鳴りそうだ。
 でも――
「えっと、割り箸とか……持ってないよね」
「あっ、ゴメン! はい、これ……」
 日奈子はそう言うと、自分が使っていたプラスチックの箸を差し出してくる。
 けど、もちろん俺は、それを素直に受け取ることが出来ない。
 躊躇している俺の姿を見た日奈子は、自分なりにその理由の見当をつけたみたいで、恥ずかしそうに話し出す。
「ゴ、ゴメンナサイ! 私が使った箸じゃ汚いもんね」
「い、いや、汚いとか、そういうことじゃなくて……えっと、その……使っちゃってもいいの?」
「えっ、あっ、私は全然構わないけど……」
「そ、そう? ……じゃあ……借りるよ」
 俺はそう言いながら、日奈子から箸を受け取る。
 そして、俺の机の上に置かれた弁当をつつく。
 どれもかなり美味しくて、何だか身体中に染み渡っていくように感じた。
 ……ただ、どうしてもこの箸のことが気になってしまう。
(これって間接キス……だよな?)
 まぁ、日奈子とは正真正銘のキスをしてしまっているわけだから、今更間接キスくらい気にすることでもないのかもしれない。
 でも……やっぱり気になっちまうよ。
 そう思いながら日奈子の様子を窺う。
 日奈子は何だかものすごく不安そうな顔で、俺の様子を見ていた。
 そして、俺の表情から何か感じ取ったのか、少し顔をうつむかせて呟く。
「あの……口に合わなかった?」
「えっ? あ、そんなことないよ! ホントに! むしろ、すっごく美味いよこれ!」
 日奈子は俺の言葉を聞くと、みるみる表情を明るくして、上機嫌な口調で話を続ける。
「ホントに!? ……嬉しい。これ、私が作ったんだよ」
「へぇ〜! ……藤谷さんって、料理上手いんだな」
 俺が素直な感想を口にすると、日奈子は照れくさそうな表情を見せる。
「そんなことないって〜。きっと、橘君の方が上手いと思う。……そういえば、橘君は自分でお弁当作ったりしないの? その方がお金かけなくて済むよね?」
「あぁ、確かにそれが出来ればお金もかからないし、その分自分の小遣いに出来るからいいんだけど……残念ながら、朝自分の弁当を作ってる余裕なんて無いんだよな〜。……ほら、うちの親父と姉貴は家事系ほとんどダメだからさぁ、朝飯いつも俺が作ってるんだよ」
「そ、そうなんだ。それであんなに料理上手いんだね。でも……大変そうだね」
「あぁ、マジで大変。親父はともかく、姉貴にはもう少し働いてもらいたいよ」
「ふふ、そうだね」
 ……………。
 会話が途切れると、日奈子は弁当をつつき続けている俺の姿を嬉しそうに眺めていた。
 腹が減ってたから、俺は日奈子の弁当を食べ続けているけど、何だかこんなに見られてると、ものすごく食べにくく感じる。
「あ、あの……そんなにジロジロ見られると、何だか食べにくいんだけど……」
「あ、ゴメン! そんなつもりじゃ……」
「いや、別に謝るほどのことじゃないんだけどさ。……そ、そうだ。あんまり食べ過ぎちゃっても悪いよね」
 そう言って、俺は弁当を日奈子に差し出す。
 何気に結構食べちゃってて、もう弁当箱の中身はほとんど残っていない。
「あっ、私はいいから全部食べちゃって」
「えっ、でも……」
「その……その方が嬉しいから……」
「あ……そ、そう? じゃあ、折角だから……」
(嬉しいけど……何だか余計に食べにくいな……)
 なんて思いながらも、しっかりと弁当をたいらげる。
「ふぅ。ごちそうさま。ホント、助かったよ。こんな美味しいもんを昼に食えるなんて、今日はついてるのかもな!」
 俺が空になった弁当箱を渡しながらそう言うと、日奈子は何故か顔を赤くしながらうつむいた。
(な、何か気に障ることでも言っちまったのか?)
 そんな不安感を感じながらも、何にも言えずにいると、日奈子は顔をうつむかせた体勢のまま、上目遣いに俺を見ながら呟き出す。
「あ、あの……も、もし橘君が嫌じゃなかったら……」
「えっ?」
「……あ、あの…………ゴ、ゴメン、気にしないで。……何でもないから」
「そ、そうなの?」
 日奈子が何を言おうとしたのか気になったけど、何だか妙な雰囲気になっていたから、とりあえずこれ以上追求するのは止めることに。

 ――まだこの時には、これから起こることなど全く予想していなかった。


 そして、今週に入ってすぐの月曜日。――その、昼休み。
 俺はこの前の失敗を繰り返さないようにと、昼休み開始のチャイムが鳴るのと同時に教室を飛び出――そうとしていた。
 しかし、それは俺を呼びとめる声によって、見事に封じられる。
 俺に向かって声を掛けてきたのは、すぐ隣に座っている日奈子だった。
「あ、あの……橘君!」
 すでに立って視線をドアに向けていた俺は、突然の呼びかけに少し驚きながら、視線を日奈子に移す。
 でも、またパンを買い損ねるのはご免だから、身体はいつでも走行OKな状態だ。
「何? もし急ぎの用じゃなければ、先にパン買ってきちゃいたいんだけど……」
 俺が素直にそう言うと、日奈子は何だかモジモジしながらカバンの中をあさり始める。そして、取り出したものを前に出しながら呟く。
「あの……良かったらこれ……食べない?」
「えっ?」
 俺は日奈子が取り出したものを呆然と見つめていた。
 日奈子が取り出したもの――それは、どこからどう見ても『お弁当』だった。
 この前に食べさせてもらった弁当の箱だけじゃなく、もう一つ、一回り大きめの弁当箱がある。
 これは……俺の分……ってことか?
「あっ、別に嫌だったらいいの。勝手に私が作っちゃったんだから……」
「あ、いや、嫌ってことはないけど……どうして俺に?」
 俺が聞くと、日奈子は焦りながら、選ぶように言葉を返してくる。
「えっと……その、この前橘君が美味しそうに私のお弁当食べてくれたから……」
「……そんなことだけで、わざわざ?」
「あ、えっと……そ、そう! 私、もっとお料理上手くなりたくて、それで作ったの!」
「そ、そうなんだ。……じゃあ、折角だし……貰おうかな」
 変に力のこもった日奈子の声に違和感を感じながらも、俺はそう言いながらしっかりと弁当を受け取る。
 包を解いて箱を開けると、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐり、自然と腹の虫が鳴りだした。
 その音が聞こえたのか、日奈子が控えめに笑いだす。
 ……何だか恥ずかしい。
「ヒナ〜! 一緒に弁当食べ……あれ? 珍しいじゃん。橘が弁当だなんて」
 俺が弁当の包みの中に添えられていた割り箸を割って、いざ弁当に手をつけ始めようとした時に聞こえてきたのは、由紀のそんな言葉だった。
 由紀は弁当を片手に、何故かけん制するような視線を日奈子に向けている。
「あぁ、藤谷さんが弁当作ってくれたんだよ。この前、少し分けてもらったんだけど、すっごく美味いんだぜ、藤谷さんの弁当」
 俺が正直にそう言うと、由紀は俺を一瞥してから、日奈子に歪んだ表情を向ける。
「へぇ〜、そういうことかぁ。……ヒナも随分とやることが積極的になってきたこと」
「えっ? べ、別にそんなつもりじゃ……」
「ホントにぃ? そ〜いえば、朝登校するときも、何だか人の話も聞かずにうわのそらって感じだったし……そういうことだったわけだ」
「だ、だから、そんなつもりじゃないんだってば〜!」
 日奈子は由紀の攻撃を何とか防いでいるが、明かに劣勢な様子。
 必死の叫びも、由紀にはさして影響は無いようだ。
 ――でも、その叫びは、この『戦場』に新たな人物を呼びこむことに。

「ねぇ、さっきから何言い争ってるの?」

 それは、購買で買ってきたと思われるパンを持った森野さんの声だった。
 そして、その横には同じくパンを持った泉川の姿も。
(こ、これはチャンスかも!)
 俺はそう思いながら、森野さんと泉川に向けて小声で話した。
「それが……俺が、藤谷さんが作ってくれた弁当を食べようとしてたら、由紀が変に勘繰ったみたいでさぁ。何でか知らないけど、突然藤谷さんに変なこと言いだして……」
 ……俺は、いたって真剣に話していた……んだけど、何故か森野さんと泉川は、呆れたような表情を俺に向ける。
 そして全てを理解したような表情を見せながら、未だに言い争っている日奈子と由紀に向かって、泉川が話しだした。
「はいはい、ストップストップ。……由紀さぁ、『それ』に関しては『抜けがけ』とかそんなものは関係無いんだから、別にヒナが弁当を作ってきたって、何も文句言えないでしょ? そりゃ、私だって『やられたっ!』って思ってるけどさぁ」
「……そ、そりゃそうだけど……って、バレてる!? それに、やっぱり委員長もそうなわけ!?」
「ま、今更隠したってしょうがないよね。……そうよ」
「ハァ……やっぱり。……またライバルが増えるのかよぉ」
 言いながら、由紀は思いっきりうなだれる。そして、
「あっ、ちなみに私もそうだからねっ♪」
 森野さんからその言葉が放たれると、日奈子と由紀と泉川の視線が、一斉に森野さんに向けられた。
 森野さんはその展開を予想していたのか、驚く様子一つ見せず、笑顔でその視線を受けとめている。
 ……俺には、いったい皆が何の話しているのか、全くわからなかった。
 だいたい、泉川が言ってた『それ』って、いったい何なんだよ。
「あの……何の話だかよくわからねぇけど、とりあえず……一段落ついたわけ?」
 俺が思わずそう切り出すと、何故か皆少し離れてから、一斉に溜め息を吐いてボソッと囁き始める。

「……ハァ。まぁ、何にしてもここまで鈍感だなんて……私たちも辛いわね」
「ホント。……多分、間違いなく私たちが橘のことどう思ってるかなんて、全く気付いてないんだろうな」
「橘君って、優しいけどそういうところはメチャクチャ疎いもんね〜」
「うん。……で、でも、私はその……そ、そういうところも……」
「……ハァ。ヒナはいいよなぁ。そういうところ、女から見てもすごく可愛いもん」
「えっ? そ、そんなことないよ……」

 俺には、その会話の内容は全く聞こえなかった。
 そして、何だかそれが、俺の中に不安感を発生させる。
 ――もしかしたら、何か俺に対する陰口を言っているのかもしれない。
 そんな憶測が、勝手に生み出されていた。
 日奈子から受け取った弁当を食べ始めていた俺は、何とか話題を変えさせようと声をあげる。
「な、なぁ、とりあえずそんなところで立って話してないで、折角だから皆で昼食べようぜ。……昼休み終わっちまうぞ」
 俺にとっては起死回生の言葉のつもりだったんだけど、その言葉を聞いた四人は、揃って深い溜め息を吐いていた。
 そして、何かに痺れを切らしたのか、由紀が素早く近づいてきて、目の前で俺の机に手を乗せて語り出す。
「お前なぁ、少しは私たちの気持ちわかれよ! 鈍感なのにも程があるぞ!?」
「ど、どうしたんだよ、急に……だ、だいたい鈍感って……前にも言ってたけど、いったいどういう意味だよ?」
「だ〜か〜ら〜!!」
 由紀が、俺の机に乗せている手をワナワナと震わせていると、様子を見ていた森野さんと泉川が慌てて近づいてくる。
 そして、俺の左右にそれぞれ陣取って、由紀の手を持ちなだめ始める。
「由紀落ちついて! ねっ!!」
「そうだよ! 橘君だって悪気はないんだからさ!!」
 ……しかし、由紀の気持ちは治まらないようだ。
 鋭い表情を見せながら、俺に向かって叫びだす。
「いやっ、もう我慢できない! こ、こうなったら、今すぐにでも言うこと言ってやるんだから!!」
 由紀が何を言う気なのかはわからないけど、その表情から、それが本気だということはわかる。
 由紀の表情に危機感を感じたのか、離れた場所で見ていた日奈子は小走りに近づいてきて、空いていた俺の背後を陣取り、森野さんと泉川に加勢する。
「だ、ダメだって由紀! こんな状態で……。その……ほら、やっぱりそういうのはちゃんとした時に言わないと……」
「な、何だよ! ヒナだって同じ気持ちなんだから、わかるだろ!!」
 そこまで言ったところで、由紀は突然、表情を何やら探るようなものに変える。
「……はぁ〜ん。ヒナはそうやって、私のことを邪魔するわけだぁ」
「なっ! そ、そんなつもりじゃ……」
「またまたぁ。可愛いところ見せちゃって。……そうやってポイント稼いでるんでしょ?」
 それを聞いた日奈子の口調は、明かに変貌していた。
 ――そう、日奈子の家にお邪魔したとき、陽太や母親に向かって放った声のように。
「ゆ〜き〜!! そんなわけないでしょ!!」
 俺は、背後から聞こえてくるその声に、ものすごく嫌な予感を感じていた。
 このままでは、絶対にヤバい展開が待っている。
 そう感じた俺は、何とかこの状態に終止符を打たせようと、仲裁に入る。
「な、なぁ、ホントに少し落ちついて――――」
 ――しかし、仲裁のための言葉は、途中で放ちたくても放てない状態にさせられていた。

「橘君は黙ってて!!」

 ――背後にいる日奈子の手によって、俺の口は完全に塞がれてしまったんだ。
 日奈子は、背後から抱きつく形で、両手を俺の首に回していた。
「ん〜! んん〜!!」
 一瞬、何が起きたのかサッパリわからなかった。
 けど、自分の口に背後から手が伸びていることに気付くと、一気に触覚が覚醒しだす。
 明かに、俺の背中に密着しているものがある。
 どう考えても、それは間違いなく日奈子の身体。
 ……柔らかくて、暖かい。
「ちょっと! どさくさにまぎれて何やってるんだよヒナっ!!」
 慌てて声を出した由紀は、机越しに手を伸ばし、俺の口を塞ぐ日奈子の手を解こうとする。
 ……だが、距離が微妙みたいで、中々手に力を入れられないでいる様子。
 由紀はその身体を、より前に寄せ始めた。……が、


「うわっ!!」

――ガタン!!

「んん〜〜!!!!」


 ……俺の机は、見事に俺に向かって倒れていた。
 由紀が前に寄りすぎて、机が傾いてしまったんだ。
 おかげで、机+由紀の重さが、俺の膝にクリーンヒット。
 …………痛いなんて生易しいものじゃない。
 しかも、叫びたくても口が塞がれている為に叫べない。
 何だか痛さ倍増……といった感じ。
 由紀は机と共に俺に向かって倒れ掛かっていて、俺の腹部に顔を埋めた形になっていた。
 更に、机の上に置いておいた日奈子から貰った弁当の中身が、見るも無残に俺の太もも辺りに散乱している。
 俺は膝から全身に伝わる痛みで、自分の手で弁当の中身を払いのけることなど、出来る状態にはなかった。
 っつ〜かそれ以前に、背後からは日奈子、前からは由紀に激しく接触されているこの状態で、そんな行動に移すことなど考えることは出来ない。
 思考能力? もう、そんなものは皆無……かも。
 この現状に素早い反応を示したのは、意外にも森野さんだった。
 森野さんはハンカチを素早く取り出し、散乱した弁当の処理にかかる。
 ……しかし、さっきも言ったとおり、弁当は俺の太もも付近に散乱している。
 俺の太ももの上には、由紀の身体が倒れ掛かる形で有るから、太ももと由紀の間に出来た狭い空間の中を探るようにしないと、弁当を片付けることは出来ない。
 まぁ、由紀がすんなりと離れてくれれば、そんな苦労はしなくて済むんだけど、何故か由紀は倒れ掛かった状態から体勢を元に戻そうとしないでいる。
 それどころか、その体勢のまま日奈子に文句を言い続けている。
 日奈子も日奈子で、そんな由紀に真っ向から対している。
 ……二人とも、退く気は全く無いようだ。
 森野さんはその様子を確認すると、軽く屈んで、俺の太ももと由紀との間に出来た小さな空間にハンカチを持った手を伸ばし出す。
 その空間は、何とか人の腕が通るくらいのもので、とても中を確認しながら手を伸ばすなんていう芸当は出来ない。
 だから……だったに違いない。

「うわぁ、これは悲惨だなぁ。えっと、これが箱でしょ〜、ご飯でしょ〜、卵焼きでしょ〜…………ん? ……何だろ、これ? 何で取れないんだろ? ……ソーセージかな?」


「ん!? ん、んん!! んんん〜〜!!!!」


 俺は……目を見開きながら、必死に叫ぼうとしていた。
 足は痛みで感覚がマヒしてしまっているけど、ある一点は、これでもかというほどに反応を示してしまっている。
 ――森野さんの手は、ハンカチとスラックス越しとはいえ、見事に俺の……イチモツを掴んでいた。
 俺は必死に抵抗を試みるが、机と由紀の重みが足にかかっていて、全く足を動かすことが出来ない。
 しかも、森野さんは自分が掴んでいるものの正体に気付いていないみたいで、より力を入れてくる。
「んっ! んっ!! んんっ!!」
 いくら頑張っても、俺にはこんな、何を言っているのかわからない鼻声しか出すことが出来ない。
 森野さんはそんな俺の苦労を知ってか知らずか、いたって落ちついた声で呟く。
「あれっ? 何かこれ……カタくなってきてる……」
 …………もう、泣きそうだ。
 森野さんの横に居場所を変えていた泉川は、その言葉で、森野さんが掴んでいるものの正体に気付いたらしく、
「も、森野ちゃん『それ』はダメっ!!」
 そう叫びながら、森野さんの腕を掴んで引っ張り出そうとする。
 しかし、森野さんは相変わらず正体に気付いていないらしく、『それ』から手を離そうとしなかった。
 必然的に、森野さんの腕と共にすごい力で引っ張られる。


「んんんん〜〜!!!! んんっ!! んっ! んっ…………」


 ……もう、限界だった。
 当然だ。……むしろ、ここまでもったことが不思議なくらいだ。
 全身の力が抜け、マリオネットの糸が切れたかのようにガクッと両手が垂れる。
 身体のいたるところから感じる触感は、ギリギリまで俺の意識を苦しめ続けていた。



 ――気付くと、そこは割とお久しぶりな保健室のベッドの上だった。
 ゆっくりと上体を起こすと、着ているものが制服からジャージになっていることに気付く。
(……あ、そっか。スラックスがメチャクチャな状態になっちゃったんだもんな――)
 なんて、納得しかけるが、
(――って、ちょっと待てよ。どうやって着替え……!?)
 慌てて周囲を見まわす。
 すると、保健室の中に日奈子と由紀と森野さんと泉川、そして真中先生がいることが確認できた。
「あっ、気付いたみたいね」
 真中先生がそう言いながら近づいてくる。
「はい。すいません、いつもお世話になっちゃって」
「まぁ貧血になる人は癖になっちゃう人が多いから、仕方ないわよ」
「そ、そうですね」
(ほ、ホントは女性恐怖症なんだけどな……なんて、そんなこと言えるわけないけど)
「あ、あの……それで、俺の制服は……」
「あぁ、とりあえずクリーニングに出しておいたわ。結構ひどい状態だったから」
「そ、そうですか。あの……その、先生が俺の服、着替えさせたんですか?」
 俺が恥ずかしがりながらも呟くと、真中先生は控えめに笑い出した。
 そして、クラスメイト四人を見やりながら話しだす。
「ふふ、私たち全員で着替えさせたわよ〜。……でも、随分と『元気』だったから、ちょっとビックリしちゃったけど。……ね、みんな♪」
 真中先生の言葉を聞いたクラスメイトたちは、皆一様に軽くうつむきながら顔を赤らめる。
 その仕草で、俺は真中先生の言葉の意味を理解することが出来た。
(『元気』なのは、森野さんと泉川のせいじゃないか……)
 なんて頭の中で愚痴ってみるが、いざ着替えの光景を想像してみると、思いっきり顔が熱くなってきた。
 思わず起こしていた上体を、再びベッドに寝かす。
「……で、体調はもう大丈夫? もうすぐ六時限目が始まるけど」
「あ、はい。大丈夫です……」
 そう、体調は何も問題ない。でも――
「――でも、もう少し休ませてもらってもいいですか?」
 でも、精神的にはかなりいっぱいいっぱいだったから、そう言ってもうしばらく休ませてもらうことに。
 真中先生が頷くと、クラスメイトたちは俺のことを心配してくれながらも、六限に遅れるわけにもいかないから揃って保健室を出ていく。
 俺は、ベッドに横になりながら、昼休みの出来事の真意を見出そうと奮闘する。

 けど、いくら思考しても、その答えが導き出されることはなかった。
 まぁ、自分で言うのもなんだけど、いつものパターンだ。


 だが、俺はついに、『それ』の答えを知ることになる――――


 ===あとがき=====

 あ、暑い……。
 第24話……です。

 えっと、上の二行に特に意味はありません(笑)
 『泉川香織』編が終わり、とりあえず『〜』編は一休み。
 佐々原高校、1−Bの面々の、最近の昼休みの状況をお伝えしてみました。
 本話は、久しぶりに割とコメディ色が強くなってるんじゃないかなぁ……なんて、勝手に思ったりしてます。
 学校の教室の、自分の座席に座った状態で、前と後ろから女子にひっつかれながら、太ももの上辺りに散乱したお弁当の中身を片付けようとした女子によって、おもいっきりイチモツを握られてしまい、結局気絶してしまう。
 ――こんな主人公は、前代未聞なんじゃないでしょうか(笑)
 ちょっとやりすぎだったかな?(汗)

 さて、次話では本話の続きの状況を、皆さんにお贈りします。
 最後に出てきた『それ』の答えも、お伝えできると思います。
 れいによって、すんなりと公開できるかどうかはわかりませんが、気長に、そして楽しみにお待ちいただきたいと思います。

 2004/08/06 22:28
 何だか『へろへろ〜』な状態にて(笑)



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