第9話〜feat. HINAKO HUJITANI #1 [ふれあい]〜 |
……まさにそれは予想だにしない出来事だった。
九月十六日、火曜日の帰りのショートホームルーム。
教壇には、我が1−Bのクラス委員長である泉川の姿が。
そして、泉川の背後に見える黒板には複数人の名前が書かれていて、その中にある俺と日奈子の名前が大きな丸で囲まれている。
「じゃ、そういうことで橘とヒナで決定ね」
泉川はそう言うと教壇から退き自分の席へ。
視界に障害物が無くなり、改めて黒板を見る。
黒板上部にはこう書かれてあった。
『演劇、エイミーとマコっちの代役選び』
……事の発端は昨日、九月十五日に起こったこと。
原因はわからないけど、昼休み中にエイミーと誠人が階段の踊り場でケンカをしていて、その勢いで階段から転げ落ちて二人とも足を捻挫してしまったらしい。
十月の四日・五日にある佐々原高校恒例の『さざなみ祭』――いわゆる文化祭の中で演劇をやると決めていた我がクラスとしては、さすがに練習なんか出来ないであろう二人の代役を早く決めなければならなかった。
……で、今日早速その代役を選ぶことになり、選ばれたのが俺と日奈子だってわけ。
しかも、俺がやることになった役っていうのがどうも主人公役らしい。
そして、日奈子がやることになったのはヒロイン役。
……そもそも、この演劇の脚本を書いたのは文芸部員である日奈子だ。
つまり日奈子は『脚本担当』だったわけで、ほとんどセリフとかわかってるだろうから問題はないだろう。
……でも、俺は『照明担当』だったから、主人公がどんなセリフを話すかなんて全然知らないし、それどころかどんな話なのかすらあまり把握していない。
だが、たとえそうであっても俺が主人公役から逃れることはもう不可能だろう。
周囲からの拍手と期待のこもった視線を見れば、そう思うのも当然なことだった――。
「………ハァ」
そんなこんなで、ショートホームルームが終わった後、俺の口からはため息ばかりが出ていた。
本番まであと十八日。
……はたしてちゃんとセリフを覚えて劇をこなせるようになるんだろうか。
……考えれば考えるほど、余計にため息を吐きたくなる。
「………ハァ」
……どうやら俺と同じ心境のやつがいるみたいだ。
ため息につられて右側を向く。
――そこにいるのは日奈子。
机に右ひじをつきながら頭を支えている。
その表情は……言うまでもなく暗かった。
(まぁ……とにかく落ち込んでたってしかたないか)
とりあえずはそう自分の中で結論付け、ゆっくりと席から立ち上がる。
改めて周囲を見回すと、もう教室内には俺と日奈子しかいないようだった。
なんだかんだで結構な時間落ち込んでいたようだ。
「……………」
……こうなると、さすがに日奈子一人を残して帰る気にはなれなくなる。
……なんか悪い気がするし。
とりあえず何か話し掛けて帰るキッカケを作らないと……。
……とは思うんだけど、中々放つべき言葉が見つからない。
「……藤谷さんもやっぱり役やるのが嫌なの?」
結局出せた言葉は、そんな聞くまでもない内容のものだった。
「あっ……うん。お話創るのは好きだから良かったんだけど、演じる方はちょっと……なんか恥ずかしいし」
「やっぱそうだよな〜」
「橘君もやっぱりノリ気じゃないんだ」
「まぁね。もともと照明担当だったからセリフとか全然わからないし、申し訳ないけど話の内容自体あまり把握してないんだ」
「ふふふ、そうだよね。……でも、断るわけにもいかないよね」
「そうなんだよな〜。……ふぅ、ホントに困っちまったなぁ」
とりあえず再び席に座り直す。
(全く誠人のやつ、なんでエイミーとケンカなんかしたんだよ。ホントにいい迷惑だっつ〜の)
ふと窓外を眺めて誠人の顔を脳裏に浮かべると、思わず愚痴が浮かんでくる。
また、浮かんできた誠人の表情が妙にニヤけていたりするから、余計に腹が立つ。
再び頭の中の誠人に向かって愚痴をこぼそうとした時、不意に日奈子が話し掛けてきた。
「……そういえば橘君って劇の台本持ってたっけ?」
「えっ? …あぁ、俺は持ってないよ。持ってるのは実際に演じるやつらだけだっただろ、確か」
「あっ、そうだったね。…じゃあ早めに渡しておかないといけないね」
「そうだな。なんだかんだ言って、本番まで二週間ちょいしかないんだし」
ホントにそうだ。早くセリフを覚えないと、練習すら出来やしない。
「あの……橘君、今日時間空いてるかな?」
「あぁ、別に今日は特に予定はないけど……」
「じゃあ…もし橘君さえ良かったらうちに来ない? 予備の台本があるから、それをあげるよ」
「おっ、サンキュ。そうしてもらえると助かる」
「ふふっ、じゃあ決まりね」
日奈子はそう言うとスッと立ち上がり、荷物を整理し始める。
整理が完了したのを確認すると、俺もゆっくりと立ち上がって教室から出る体勢へ。
教室から廊下へ出ると、そこにももう生徒の姿は見当たらない。
遠くの方で部活動が発生源と思われる音が微かにBGMのように聴こえてきて、けして無音ではない心地よい空間を形成している。
『緊迫感』とか『圧迫感』とかを微塵も感じさせない空間。
なんだか『ほのぼの』とした空気を感じれて気分が良い。
マウンテンバイクを取りにいってから正門を出ようとすると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「お〜い、ヒナ〜!! ……と、ついでに橘」
……由紀だった。
「『ついで』ってなんだよ、『ついで』って!」
「あはは、いつものお返しだよ。い・つ・も・の!」
由紀は『してやったり!』といった表情で俺を見据えている。
多分、部活が始まる前なんだろう。由紀はバスケットボールのユニフォーム姿だ。
「……で、今日は橘と仲良くお帰りですか〜」
由紀は視線を日奈子に移すと、なにやら意味ありげな笑顔でそんな言葉を放つ。
「えっ…私はただ橘君に劇の台本を渡そうと思って……」
日奈子は一瞬驚いた表情を見せると、その後は恥ずかしそうに言葉を続ける。
それを聞いた由紀は、かなりわざとらしく驚いて叫ぶ。
「なにっ! じゃあ橘をヒナんちにあげちゃうんだ!」
「だから台本を渡すだけだって!!」
「ホントかな〜♪」
「…もぅ、そんなこと言いにここまで走ってきたの?」
「ふふ、まぁね〜。…ま、せいぜい頑張ってくださいな。じゃね〜」
由紀は言いたいことを全て言い切ったようで、そそくさと体育館の方へと走り去っていった。
「まったくもぉ。…ふぅ、行こっか」
「あ、あぁ」
なんか由紀の勢いに押されてあっけにとられていたけど、とりあえず頷いて歩き出す。
――ホントはこの時に気付いておくべきだった。
背後から微かに感じる鋭い眼光に……。
……時間が経つのって、こんなに遅かったっけ。
日奈子と一緒に歩く道のりは、そんなことを自然と俺に考えさせていた。
今は、例の『曰くつき十字路』を曲がったところ。
実際はまだ大して時間は経っていないはず。
でも、何の会話もない無言の時は、ものすごく時間が経つのを遅く感じさせていた。
(……何か話さないと)
そう頭の中で思っていても、なかなか口にすべき言葉が浮かんでこない。
(劇の話題でもふってみようか……でも内容全然知らねぇしなぁ……)
「あの…橘君」
歩きながら悩んでいた最中、日奈子からの言葉が俺を救ってくれた。
とりあえず無言空間からは開放されそうだ。
「ん、何?」
「突拍子もないこと聞いちゃうけど……『女性恐怖症』の方はだいぶ良くなったの? ほら、佐々原高校は女の子ばっかりだから少しは慣れたりしたのかなぁって」
「あぁ…おかげさまでだいぶね。正直、自分でも驚いてるくらいなんだ。前に開いてくれた『転入歓迎パーティー』だって、以前までだったらあの状況じゃ確実にダウンしてたところだけど、結局気絶することなくすんだし」
……ホントに驚くほどの進歩だった。
特に女性恐怖症を改善しようと意気込んでいたわけでもないのに、結果的に良い方向に進んでいる。
今思えば、すでに女性恐怖症のことを知っている『日奈子』という存在がいるからこそ、ある程度の『安心感』みたいなものを得られたのかもしれない。
「…これも藤谷さんのおかげかもしれないな」
「えっ…そ、そんなことないって」
日奈子はうつむきながらも嬉しそうだった。
……っていうかはにかんだような表情を見せている。
何でそんな表情を見せているのかは全く見当もつかないけど。
「…でも良かった。それじゃあ橘君がやる役もこなせそうだなぁ」
「えっ、それってどういう――」
「あっ、着いたよ」
俺の疑問は藤谷邸への到着によって阻まれてしまった。
(まぁ……いっか)
日奈子の家は全体的に洋風の造り。
入り口には門扉があり、その先には玄関のドアへ向けてタイルの道が進んでいる。
とりあえず門扉の前で待つ体勢をとっていると、
「あっ…あのさっ……折角だから、あがってかない? もし時間に余裕があるんだったら一緒に練習とかもしたほうがいいと思うし……」
……何とも控えめな声。
断られるのが怖いのだろうか。
そう思うと、なんだか自然と笑みがこぼれる。
――俺に断る理由なんて存在しない。
「そうだね。折角だし、あがらせてもらおうかな」
そう答えると、日奈子は嬉しそうに俺の手をとって家の中へと誘ってくれた。
カシャッ
「…ん? ……今何か聞こえなかったか?」
「えっ? ……聞こえなかったと…思うけど」
「そう…だよな」
(幻聴だったのかな?)
そう思いながら周囲を見回してみる。
しかし、そこにあるのはただの住宅街。
(気のせい……か)
「ただいま〜」
日奈子が玄関のドアを開きながらそう言うと、奥の方から声変わりして間もない感じの男の声が聞こえてきた。
そして、こちらへと向かってくる足音が聞こえる。
少しすると、奥の方にそれらしき人物を確認することができた。
パッと見て中学生くらいの男の子。
多分、日奈子の弟なんだろう。
俺の考えは正しかったようで、男の子は日奈子の顔を見ると軽くあくびをしながら話し出す。
「お帰り〜、姉ちゃ……ん〜!?」
……男の子は俺の姿を発見すると、目が覚めたように驚き……いや、むしろ驚愕の表情を見せて声を裏返した。
そして、次第に身体を小刻みに振るわせはじめる。
「お…お邪魔します……」
ただならぬ雰囲気を感じながらも、なんとか言葉をひねり出す。
男の子は身体を振るわせたままゆっくり家の中を向くと、溜め込んでいたものを吐き出すかのように大きな声で叫んだ。
「ね、姉ちゃんがオトコ連れて来た〜〜〜〜〜!!!!」
……俺も日奈子も、一瞬何が起こったのかよく理解できなかった。
その証拠に、そろって目を丸くしている。
すると、慌てて階段を下りてくる音が聞こえてきた。
その音で事態を理解した日奈子は、慌てて玄関のドアを閉める。
日奈子の顔はみるみるうちに真っ赤になっていた。
「な、ななな何言ってるの陽太!!」
……そして見るも無残なほどに混乱していた。
両手をパタパタと上下させながら、必死に弁解しようとしている……ように見える。
その光景に戸惑っていると、男の子――陽太の背後に新たな人影が現れた。
「ハァ、ハァ……!! こら陽太! 驚くのはわかるけどそんなに大声出さないでよ。近所迷惑じゃない!」
……階段から下りてきた女性――多分、日奈子のお母さんであろう人は、陽太に向かってそう言いながら軽く頭を叩く。
「イテッ! だ、だって姉ちゃんがオトコ連れてきてんだぞ! あの姉ちゃんがっ!!」
「わかってるわよ! そりゃ私だって驚いてるわよ。あの日奈子が男の子を連れてくるなんて初めてのことだし……」
(……俺は……ココにいていいのか?)
おそらくとんでもない表情をしているであろう状態で、そんなことを考えていると、
「お母さんっ!!」
日奈子がすっかり茹で上がった状態の顔のまま叫び、ようやく陽太と日奈子・母は落ち着きを取り戻す。
「あ、あら、ゴメンナサイね。お帰り日奈子。それで……」
陽太と日奈子・母の視線が同時に俺をロックオンする。
「は、はじめまして。藤谷さんと同じクラスの橘っていいます」
「橘君ね。はじめまして、日奈子の母です。いつもお世話になって…」
「い、いや、そんなこと。こっちこそいつも助けられてまして……」
……なんだか社交辞令のオンパレードになりかねない展開だ。
「えっと…それで日奈子とはどういったご関係? まさかもう……」
「お・か・あ・さ・ん!!」
……まさに憤怒の表情だった。
普段の日奈子からは想像もつかない表情。
……さすがに一歩ひいてしまう。
それは日奈子・母や陽太も同じようで、一瞬思いっきりたじろいでいた。
「…や、やあねぇ、ただの冗談だってばぁ。…ね、陽太」
「う…うん」
「もぅ! 橘君が困っちゃうでしょ!」
(…いや、もう十分に困ってますって)
心の中ではそう思いながらも、とりあえず適当にその場を治める。
「まぁまぁ。とりあえずあがってもらいなさいよ。玄関でずっと待たせる気?」
「お母さんのせいでしょ! もぅ、ゴメンね橘君。とりあえずあがって」
日奈子の言葉でようやく中へと入ることに。
日奈子・母と陽太の横を通り過ぎるとき、ふと見えた二人のにやけた顔が妙な悪寒を感じさせた。
藤谷邸の二階にある一室――日奈子の部屋で、俺は劇の台本を受け取ってフローリングの床に座っていた。
室内には机やベッド、鏡などがあり、ベッドの上にはいくつかのぬいぐるみが並べられている。
女の子の部屋のイメージ像をそのまま実体化したような部屋だ。
「とりあえずそれが台本ね。…それで、最初のページに登場人物の説明が書いてあるでしょ。その中の『サッシュ』っていうのが橘君の役だよ」
言われたとおり台本の最初のページを開いてみると、確かにサッシュという名前が書かれていて、その下には簡単な説明文が書かれてある。
『舞台となるハインラット国の騎士。悪の魔導士によって支配された国を救うために立ち上がる。本作の主人公』
「それで、サッシュの横に書いてある『ケイト』っていうのが私がやる役だよ」
言葉に合わせて視線をずらす。
『ハインラット国のお姫さま。悪の魔導士によって監禁される。本作のヒロイン』
……どうやらファンタジー作品のようだ。
「へぇ……こりゃ結構セリフ多そうだな」
「うん。ケイトはほとんど捕まってる状態だからそんなにセリフはないんだけど、サッシュはずっと出っぱなしだからかなり多いね」
「やっぱそうなのか……誠人のやつ、こんど会ったら絶対にこき使ってやる」
「ふふふ、そうだね。辰巳くんとエイミーがケンカしちゃたから私たちがやることになっちゃったんだもんね」
「ホントだよ」
思わず深く頷く。
「……でも、私にとっては良かったのかも」
「えっ?」
「あっ、いや、なんでもないの。…そ、そうだ。とりあえずサッシュのセリフのところにチェック入れといた方が良いよ」
日奈子はそう言うと机からボールペンを取り出す。
俺は妙に慌ててる日奈子に不自然さを覚えたけど、とりあえずは気にしないようにしてボールペンを受けとる。
ボールペンを受け取ったのを確認すると、日奈子は俺の横にちょこんと座り、俺の台本を開きながらサッシュのセリフ部分を指差してくれた。
……改めてそのセリフの多さに気が引けそうになる。
台本のページを開くたびに、必ずサッシュのセリフ部分が存在していた。
本当なら、チェックをしながらでも少しずつセリフを覚えていった方がいいんだろうけど、今の俺にそんな余裕はどこにも存在していない。
――すぐ真横に日奈子が座っていて、その右手が俺の台本に向かうたびに息づかいが聞こえてくるんだ。
肩なんかさっきから何度も触れている。
いくら慣れてきたとはいえ、俺は女性恐怖症。
やっぱり多少は辛く感じてしまうんだ。
でも…確かに集中は出来てないかもしれないけど……それでもけしてこの状況が嫌なわけではないみたいで……。
……それどころか、肩先から日奈子の微かなぬくもりを感じていられる今という時を、とても嬉しく思っている自分がいる。
いや、『嬉しい』とはまた違ったものかもしれない。
なんていうか、『嬉しさ』と『好奇心』と『緊張感』を足して三で割ったような、そんな形容しがたい感情が強く渦巻いているように思えるんだ。
そう……これは今までに感じたことのない感情……なのかもしれない。
(はは、もしかしたらただの錯覚かもしれないな……)
……脳内での思考は、俺の五感を衰えさせていた。
「…君……橘君?」
「えっ?」
聴覚が復旧してようやく聞こえてきた日奈子の声に、俺は慌てて反応し振り向く。
……それがマズかった。
カタンッ――。
「……………」
「……………」
ボールペンを落とした音が、やけに響いて聞こえた。
――何が起きたのか。
そのことを頭で理解するのは容易いことだった。
そして……それを言葉にすることも容易いことだった。
でも…そのことをどう受けとめればいいのかは全くわからない。
急激に研ぎ澄まされた五感をフル活用して今の状況を確認する。
聴覚――沈黙状態。
視覚――呆然と俺を見据える日奈子の姿。
嗅覚――優しく心地よい香り。
味覚――今のところ無味。
触覚――――。
――瞬間だけど、確かに触れた唇と唇。
触覚が活性化していくたびに、唇が熱を持っていることを認識できた。
ホントにたった一瞬のことだったんだ。
でも…その感触はしっかりと残っている。
今までに触れたことのないやわらかさ。
五感は研ぎ澄まされているはずなのに、何故だか頭がボーっとしている。
日奈子はしばらくの間呆然としていたが、みるみるうちに顔を紅潮させていった。
その表情を見て改めて実感する。
――間違いなく、一瞬でもキスをしたんだ……と。
ガチャッ
「うわっ!」
「きゃっ!」
「……どうしたのそんなに顔赤くして。…飲み物持ってきたよ〜」
突然入ってきた陽太のおかげで、どうにかその空気の呪縛から解き放たれる。
「あ、ありがとう」
日奈子はそう言うと立ち上がって、陽太が持ってきた紙パックのジュースとコップの乗ったお盆を受け取る。
俺が会釈をすると、陽太はニヤけながら話しだす。
「橘さん、姉ちゃんのことヨロシクね〜」
「えっ…」
「ちょ、ちょっと陽太、何言って……」
「えっ、だって今キスしてたじゃん。……まぁ『偶然』っぽい感じだったけど」
……今度は俺自身も顔が赤くなっていくのを自覚することが出来た。
日奈子は……言うまでもなく真っ赤だ。
「み…見てたの……」
お盆の上のコップをカタカタと震わせながらも、何とか言葉をひねり出す日奈子。
でも、その声はか細い。
「まぁね。とりあえず音が立たないようにゆっくりとドアを開けて、しばらく見てたら……期待通りの展開になってくれちゃったもんだからさ〜。とりあえず一度ドアを閉めて、今度はわざと音を強調してドアを開けたってわけ。どう、結構テクニシャンでしょ、俺」
「……………」
俺も日奈子も言葉が出ない。
「でも出来ることならもっと大胆にキスしてほしかったな〜。ほら、ドラマみたいに抱き合いながらチュ〜って」
(こ、このガキはなんてことをっ!!)
……さすがの俺も頭にきた。
いくらなんでもやりすぎだろう。
……とは言っても、中々身を乗り出すまでにはいたらない。
『クラスメイトの弟を、知り合った日に殴った』なんてことはさすがに出来ないじゃないか。
(く〜〜〜〜〜っ!!)
俺がなんとか歯がゆさをこらえていると、日奈子がお盆を床に置いて表情を変えた。
……あの、玄関にいた時と同じ表情だ。
「よ〜・う〜・た〜!!」
……でも、今度は陽太も引かない。
「な、なんだよ。姉ちゃんだって結構まんざらでもないんだろっ! 家で橘さんのことよく話してるじゃんか!」
(えっ……)
「そ、それとこれとは関係ないでしょ!」
「関係なくないよ! 橘さんの話してる時の姉ちゃん、いっつも楽しそうにしてるしさっ!!」
「そ、それは……」
「姉ちゃんダメだよ! たまには積極的にいかなきゃ!!」
「……………」
陽太のその言葉に、日奈子は完全にダウンしてしまっていた。
顔を赤らめたまま、ただうつむいている。
俺は…自分もかかわっている話だというのに、あまり実感が湧かないでいた。
(藤谷さんは俺のことをいつも楽しそうに話している……。そして今、藤谷さんは陽太の言葉に反論出来ないでいる……つまり……)
「コラッ、陽太っ!!」
結論が出かかったところで日奈子・母の叫び声が俺の思考をストップさせた。
日奈子・母は陽太の背後にいつのまにか現れていた。
陽太は背後の母を確認すると、慌てて室内から出ていく。
「ゴメンナサイね、橘君。あの子、もう中一だってのにイタズラばっかりして」
「あっ、いえ……」
日奈子・母は両手を合わせて俺に謝ると、ゆっくりと日奈子の耳元に近づいて何やら呟きだす。
日奈子は母の言葉に頬を膨らませたり、いったん落ち着きかけていた顔を再び赤らめたりしているが、俺には日奈子・母が何を言っているのか全く聞き取ることが出来なかった。
日奈子・母は呟き終えると俺に向かって会釈をして、室内から出て行った。
ガチャッ
「……………」
再び沈黙が独特の空間を形成し始める。
しかし、さっきとは違って、俺の意識は『キス』のことではなく『日奈子の気持ち』のことで支配されていた。
(もし、さっき陽太が言ってたことが確かなら……)
そう考えていると、再び俺の隣に座りなおした日奈子がゆっくりと口を開きだす。
「あ、あの……さ、さっきはゴメンね。私が急に橘君のこと呼んだりしたから……」
「えっ? ……あ、あぁ……お、俺は別に気にしてないから」
「あっ…そう……なんだ」
(……何で悲しそうな顔するんだ? ……やっぱり…そう思っていいのか?)
「お、俺の方こそゴメン。俺が急に振り向いたりしたから…その……」
「あっ、いいの……。私も……気にしてないから」
「そ、そう? それならいいんだけど……」
ぎこちない会話はここで途切れ、再び沈黙が室内を支配し始める。
目のやり場に困って、台本をパラパラとめくってみるが、その内容は全く頭の中に入っては来なかった。
今、俺の中にあるのは『日奈子の気持ちを知りたい』という、『必然的』かつ『大きな』欲求だけ――。
===あとがき=====
第9話です。
…ちょっと公開までに時間がかかってしまいましたね(汗)
まぁ…勘弁してください(汗)
えっと、とりあえず予定通り『藤谷日奈子』編がスタートです。
本編の舞台は佐々原高校の文化祭である『さざなみ祭』です。
翔羽のクラス、1−Bは演劇をやることにしました。
これは…まぁ日奈子が文芸部員であることを上手く利用したかったからなんですけどね。
ただ、翔羽と日奈子がキスしちゃうってのは、自分でも予想外の展開なんです、実は(汗)
なんとなく書いてるうちにそういう方向になっちゃった…みたいな(汗)
でもまぁ、これで翔羽や日奈子の微妙な感情を表現できるようになればいいなぁって思ってます。
…まぁ、すでに表現できてなきゃいけないんでしょうけど。ホントは(汗)
さて、次話では文中で書いた『背後から微かに感じる鋭い眼光』の正体がわかる…予定です。
演劇の練習風景も上手く描写しなきゃいけませんね。
そして、何より日奈子の気持ちの描写!
これが上手く出来ないと、読んでもつまんなくなっちゃいますもんね(汗)
……頑張らないとっ!
2004/04/16 19:20
何だか上手く文章を書けていないような気がしている状態にて(泣)