第1話〜俺の平和はどこいった!?〜

 新しい我が家は、俺がこれから通うことになる『私立佐々原高校』から、わりと近い場所にある。
 海沿いの道の途中にある我が家からその道を進んで四つ目の曲がり道を右折すれば、高校はすぐそこだ。
『海の近くで花屋だなんて、花が潮風でやられちゃわないのか?』
 ……という疑問を抱く人もいると思うが……俺もそう思う。
 まぁ商売のことはともかくとして、俺はこの場所が気に入っていた。
 家から外に出たときの爽やかな風。――ちょっと目にしみる感じもするけど心地いい。
 絶えず聴こえてくる波の音。――今までには無かったすがすがしさを覚える。
 ……車の往来が激しいのが玉に瑕だが。
 俺はそんな海沿いの道を、紺と水色で彩られた愛用のマウンテンバイクで走っている。

「ふあぁ〜」
 もう九月に入ったというのに、真夏のような日差しを絶えず浴びせ掛けてくる太陽による暑さ。
 ……でも、潮風が上手く和らげてくれているおかげで、気持ちよすぎてあくびが出る。
 すでに三つめの曲がり道を過ぎて、道の先には四つ目の曲がり道があることを示す信号が遠くに見えてきた。
 再び身体から出てこようとするあくびをなんとか噛み殺し、右折する準備に入る。
 目指す高校まではあとわずかだ。
 ……にもかかわらず、周りを見渡しても高校へ向かう生徒は見当たらない。
「……ちょっとのんびりしすぎたかな」
 自然とそう呟くと、『のんびり』というキーワードから、ふと姉貴のことが頭に浮かんでくる。
 ……そういえば姉貴のやつ、「行ってこ〜い♪」とか言って俺を送ったけど、姉貴だって高校行かなきゃいけねぇのに大丈夫なのか?
 姉貴は俺の二つ上で十八歳。つまりは高校三年生。
 姉貴が高校のこと色々調べてくれて、わざわざ男女比9対1の高校を見つけてくれたのは感謝してるけど、俺のことばっかで姉貴自身は大丈夫だったのかな?
 そう、姉貴は自分のことは後回しにして俺の行くべき高校を探し出してくれた。
 おかげで俺は、前に通っていた高校で転入先を探すことも無かったし、高校情報誌を見て調べたことも全く無い。
 っつ〜か、高校情報誌なんて今まで一度も見たことが無い。
 俺の転入先を見つけて「良かった良かった♪」なんて言ってたけど、姉貴は自分の転入先をちゃんと見つけたんだろうか。
 ……まぁ、さすがに見つけていないようだったらあそこまでのんびりとはしていられないんだろうけど。
 でも、姉貴からは一度も自分が行く高校のことを聞いたことが無い。
 ……さすがにちょっと不安だな。
 なんだかんだ考えているうちに右折点に到着。海沿いの道に別れを告げ、高校へと続く道をひた走る。
 右折後、道は緩やかな坂になっていて俺の体力を削ごうとするが、おかまいなしに立ちこぎ体勢へ。
 軽く汗をかきながらもめげずにこぎ続けると、徐々に道は平坦になり、目の前に十字路が見えてくる。
 そしてちょうど十字路にさしかかった瞬間、左側にある民家のブロック塀のせいで死角になっている場所から、誰かが向かってくるのが見えた。
 平坦な道になっても気にせずに立ちこぎで勢いを保っていた俺は、もう二メートルあるかないかといった『誰か』との距離を視認すると、慌てて急ブレーキをかける。……が、とても間に合いそうにない。

「どいてくれ〜!!」
 俺は必死になって叫ぶ。
 俺の声に気付いた左手からの通行人は、この状況に気を動転させたのか、ただただ両手を上下にバタバタさせながら悲鳴を上げる。

 ま、間に合わない〜!!
 俺は咄嗟に、ハンドルを握ったまま両足を空中に浮かせ、その体勢のままハンドルを右に切ってマウンテンバイクが通行人にぶつからないように倒す。
――やった、成功!
 ……と、安心したのもつかの間……自分自身のことを忘れていた。
 俺の身体は一直線に通行人の元へ。
 空中で瞬間移動でもしない限り、避けることは不可能な状態だ。

「うわぁっ!!」
「きゃぁっ!!」

 ドンッ!!

 ……見事に体当たりをかましてしまった。
 そのまま通行人と一緒に道に倒れこむ。
「痛〜!!」
「いった〜い」
 ゆっくり目を開けると、目の前は肌色一色。
 徐々に焦点が合ってきて……。
 そこにあったのは女の子の顔だった。
 キュッと目をつむっていて、目じりには少し涙が溜まっている。
 どうやら、俺が上から覆い被さるように倒れこんでしまったせいで、もろに背中から倒れてしまったようだ。
 ……ん?
 上から覆い被さる?

 ……………。

 な、ななななな!!
 俺は声にならない悪寒を全身に感じた。
 そ、そうだ! とりあえずここから離れればいいんだ! 気絶しないうちに!!
 ……自分でこんなことを考えてしまうのが情けないが、しょっちゅう気絶しているので、『気絶寸前』っていうのがわかるんだ。
 俺は早速うつぶせになっている俺の身体を起こそうと両腕に力を入れた。

 ムニュ
「あっ…」

 ん…ムニュ?
 ま、まさか……。
 俺は恐る恐る自分の腕の方を見た。
 そこには予想通り……。
 ム、ムムムムム、ムネ!!
「う、うわっ! う、うぅ…」
 俺の両手は見事に彼女の胸を包んでいた。
 しかも軽く握られた状態になっている。
 ……終わった。こうなってしまったらもう意識の領域を越えてしまう。
 くっ…いきなりこれかよ……。
 ……俺は見事に気絶した…のだろう。

 ……ん? …何だ? …揺れてる…地震か?
「君! いいかげん起きなさい! 君!!」
 ……あぁ、なんだ。起こされてるのか。…ん? 起こされてる?
「う、うぅ」
 俺は変な呻き声を上げながら、朦朧とする意識の中ゆっくりと目を開いた。
 ……………天井。
 右を向く。
 ……………誰も寝ていないベッドが一つ。
 左を向く。
 ……………真っ白。
 真っ白?
 少しずつ視点を上昇させる。
 ……白…白…白…ネームプレート…肌色…ピンク………顔。
 ……女の人だった。どうやら保健室の先生らしい。途中に見えたネームプレートに『保健室担当 真中麗緒菜』と書いてある。
 背が結構高く――170センチくらいかな――髪型はロングヘアーのシャギースタイルで、色は少し茶がかっているがほぼ黒。
 目は、細く描かれたアイラインや綺麗にカールされているまつ毛のためかどうかはわからないが、パッチリとしていて魅力的。
 口はわりと小さめで、控えめに塗られたピンクのリップグロスがつやを出していて可愛らしい。
 でも全体的に見れば化粧は控えめで――教職員という肩書きの影響もあるのだろうが――ナチュラルな印象を受ける。
『きっと男子からも女子からも人気があるんだろうな』
 と、勝手に保健室の先生のイメージを作り上げ、視線を天井へと戻す。

 ………ん?
 ふと、肩の辺りに感じていた感触を思い出す。
「うわっ!!」
 俺はその瞬間、寝ていたベッドから、肩にあてられていた保健室の先生の手を振り解いてその場で跳んだ。

 ドンッ!!

 ……しかし着地失敗。
「イテテテテ」
 俺はベッドから転げ落ちて腰をもろに打ってしまった。
「ちょっと、大丈夫?」
 保健室の先生は呆れ顔で打った腰を診ようと手を伸ばす。
「や、やめろっ! …い、いや、やめてください、先生。俺は大丈夫ですから」
「………本当に?」
 保健室の先生は何故か目を潤ませながら顔を俺に近づけて言う。
「ほ、本当に」
 俺は全ての汗腺を使ってるんじゃないかと思うほどの冷や汗を流しながら答えた。
 ゆっくりと立ちあがり、数歩後づさる。
 こ、この先生心臓に悪い……。
「そう? ならいいけど……それはそうと、君はいつもそんな調子で気を失うの?」
「そ、そんな調子って?」
 俺は最悪の事態を脳裏に浮かべながら、慎重に尋ねる。
「えっ? だから、貧血で倒れるとか、熱中症とかで倒れるとか」
「あ、あぁ…そ、そうです。俺、いつも貧血気味でして」
「そうなの……」
 ………ふぅ。…危なかった。『女性恐怖症』のことがばれるとまずい。男女比9対1の学校に来た意味がなくなってしまうしな。
 ……どうして意味がなくなってしまうのかって?
 それは、その事実を知った男子生徒がからかって俺に女子生徒を仕向けてくるからだ。以前いた学校でも何度かあった。その経験から、俺は基本的に『女性恐怖症』のことを気づかれないようにしている。
「そういえば君…見ない顔だけど、転入生?」
「はい。橘っていいます」
「橘君ね。私は保健室の先生をやってる真中です。これからよろしくね。………転入生かぁ。…あっ、じゃあそろそろクラスメイト達に挨拶をしに行く時間じゃない」

 ガチャッ!!

 突然のドアを開ける音に、俺は過剰に反応しドアの方を向いた。
「橘君いる?」
 そこには、またしても女の教師らしき人が立っていた。
「あ、橘は俺ですけど…」
「そう、私は耶枝橋沙絵です。体育を担当してるわ」
「はぁ…そうですか……」
 俺は(いきなり自己紹介されても…)とか思いながらも、とりあえず適当に答える。
 耶枝橋先生は小柄で――150センチギリギリあるかないか――髪型はショートヘアーで全体的にレザーカット。ところどころにシャギーを入れて動きを出している。色は茶と黄色の中間ってところ。
特に化粧をしているふうには見えず、スッピン。
 何だか全身から元気がほとばしってるような人だ。

「それと……あなたのクラスの担任も勤めていますから……これからよろしくね、橘君」
 ……間違いなく、今日俺はついていない。
 なんで、男女比9対1の学校なのに、女教師が担任なんだ……。
「で、早速だけどこれから教室に行ってクラスのみんなに挨拶してもらいます。……あっ、そうそう、うちのクラスに君を学校まで運んできてくれた生徒もいるから、ちゃんとお礼を言っておくのよ」
 耶枝橋先生に言われてようやく俺は気がついた。
「そういえば俺、登校中に誰かと衝突したんだったっけ。この学校の生徒だったのか…しかも俺が入るクラスの。いきなり気まずいじゃないかぁ……」
 俺がうんざりした表情でそう呟くと耶枝橋先生は笑顔で、
「大丈夫だって。ぶつかられた本人は軽い擦傷程度で済んだみたいだし、何より君がぶつかってたことに対して怒ってはいないみたいだからさ」
 そう答えて、俺に多少の安堵感を与えてくれた。
「そうですか…良かったです。俺の不注意が原因だったんで、もし大怪我なんかさせてたらどうしようかって思っちゃいましたよ。しかも倒れた俺を学校まで運んでくれたみたいですし」
「あら、君を運んだのは別の子よ。偶然後ろから通りかかった…まぁその子もうちの生徒で、しかも君と同じクラスの子なんだけど、その子が君を担いできたらしいのよ」
 耶枝橋先生はウインクをしながら、右手の人差し指で俺を指しながら話す。
 ……なんかあまり良い気分ではない。
 まぁ、それはそうと……つまり、俺はぶつかった通行人Aだけじゃなくて、その後から来た通行人Bにも迷惑をかけてしまったことになるわけか……。
 俺が考えこんでいると耶枝橋先生は思い出したかのように、
「まぁ、とりあえずその二人にちゃんと謝っときなさいよ。……じゃ、行きましょう」
 そう言って保健室のドアを開け、俺を保健室の外へと促す。
 『加害者』である俺は『被害者』の二人にどう陳謝しようかを考えながら、耶枝橋先生の後に続く。
「あっ、ちょっと待って!」
 声の方を振り向くと、真中先生が軽く擦り切れた痕のあるカバンを俺に差し出してきた。――俺の、ちょっと前まで真新しかったカバンだ。
 ベージュがベースだった生地に、新たに灰色っぽいラインが描かれている。
(まぁ、これはこれでありかもしれない)
 そんなことを思いながら、お礼を言ってカバンを受け取る。
「それじゃあ行ってらっしゃい。…気分が悪くなったりしたら無理しないですぐに保健室に来るようにして下さいね」
 真中先生は、またしても目を潤ませながら顔を近づけて言う。
 俺は再び大量の冷や汗を流しながらも、なんとか了解した仕草を見せてそそくさと保健室を出ていった。
 ……保健室に来たらなおさら気分が悪くなっちまうよ。

 保健室を出て、耶枝橋先生に誘導されながら教室へと向かう。
 俺は耶枝橋先生との間に、常に一定の間隔が空くようにしている。
 それは、言うまでもなく『女性恐怖症』のためなのだが、そのことは誰にもばれるわけにはいかない。
 幸い耶枝橋先生は、俺がまだ体調が万全じゃないためにゆっくり歩いていると思っているみたいで、特に疑問を投げかけてくることはなかった。
 保健室から出てすぐに左折した先にある十字路を左折すると、つきあたりに上り階段が見える。
 その階段を上り二階へ。上りきって右折すると、そこには一年の教室が並んでいた。
 『1−B』と書かれたプレートのある教室の前で止まる。どうやらここが、これから俺がお世話になる教室みたいだ。
「とりあえず、少しここで待ってて。後で呼ぶから、そうしたら教室の中に入ってきてね」
 耶枝橋先生はそう言うと、一人教室の中へと入っていった。
 先ほどまで教室の中から聞こえていた生徒たちの談笑は消え、耶枝橋先生がなにやら話を始める。
 さて…今回の自己紹介はどうしようか……。
 俺は、はっきり言って自己紹介には慣れっこだ。
 まぁ十回も引っ越ししてれば嫌でも慣れてしまう。
 ……無難にしとくか。
 そんなことを考えながら待っていると、耶枝橋先生からのお呼びがかかった。
 俺はゆっくりと1−B教室のドアを開け、中へと入る。

 ……そこは、俺にとっては拷問を行う場所以外の何物でもなかった。
 多数を占める『拷問器具』。そして、そこへ毎日のように訪れなければならないという、残酷なまでの現実。
 俺は一瞬、言葉を完全に失ってしまった。

 目の前にある光景は『男女比9対1』とはかけ離れたものだった。
 発見できた男子生徒の数は四人。このクラスの生徒数は四十人。……つまり、女子生徒が三十六人いるということだ。
 ……これでは『男女比1対9』じゃないか。
 教壇に立つ俺は、ただ呆然とその光景を眺めていることしか出来ない。
 耶枝橋先生が黒板に俺の名前を書いて、俺に自己紹介をするよう促す。
 先生の言葉でかろうじて意識を取りとめた俺は、動揺しながらもなんとか自己紹介をし始める。
「え…えっと、橘 翔羽です。昨日引っ越してきたばっかりで、まだまだわからないことだらけなので、いろいろ教えてくれると嬉しいです。…よろしくお願いします」
 軽く下げた頭を上げると、目の前の生徒たちはなにやら相談をしている様子。
 そして意見がまとまったのか、一人の女子生徒が俺に対してどうしても質問したいことがあると言い出した。
 先生はそれをあっさりと了承する。
「じゃあ橘君に質問しま〜す!」
 俺は生唾を飲みこんで女子生徒からの質問攻撃に備える。
「ヒナの抱き心地はいかがなもんだったでしょうか〜」
「……は?」
 俺は、いったい何のことだかさっぱりわからなかった。……が、一人の女子生徒が赤い顔をしてうつむいているのを見て、ようやく質問の意味を理解した。
 うつむいている女子生徒は見覚えのある、忘れようにも忘れられない顔をしている。
 ……その子は俺が登校中にぶつかってしまった女子だったのだ。
 多分『ヒナ』とはその女子のことなんだろう。
 長い茶の髪の毛を後ろでまとめてポニーテールにしている。童顔で、中学生になりたてと言っても誰も疑うことがなさそうな顔立ちだ。
「あ、あれはそういうんじゃなくて事故で…」
 俺が必死になって弁解しようとすると、その『ヒナ』の隣の席に座っていた女子生徒が待ってましたとばかりに話し出す。
「でもそういう状態になってたのは確かじゃん。最初見た時『こんな道端で大胆なコトするなぁ』って思ったし。…日奈子の胸触ってたでしょ」
 明るい茶のショートカットをなびかせながら立ちあがった彼女は、どちらかというと切れ長な瞳を輝かせながら俺に向かってにやけたような笑みを見せた。
 その言葉で、クラス全員の注目が俺に集まる。
 ……俺は完全に焦っていた。理由はともかくとして、彼女が言っていることは事実。下手に反論しようものなら、どんな仕打ちが待っているかわかったもんじゃない。
「ちょっと由紀、もうやめてよ〜」
 『ヒナ』こと日奈子は、泣きそうになりながらそう訴える。
 しかし、由紀と呼ばれた女子は全く止める気配を見せない。
「そうは言うけど日奈子…あんただって結構まんざらでもなかったでしょ〜。だってあんた……」
「あぁ〜! もうストップ〜!!」
 日奈子はよりいっそう顔を紅潮させ、必死に由紀を止めにかかる。
 俺は……もう何も口に出せずにいた。
 周りの生徒は興味津々といった様子で俺や日奈子や由紀を見ている。
「はいはい! 何だか話の展開がやばそうだからこの辺でストップね〜」
 先生のその言葉で、何とかこの話題に終止符が打たれた。
 生徒たちは皆一様に不満そうな顔をしていたが。
(助かった……)
 緊張感から解き放たれ、急激な脱力感が身体全体に伝わった。
 どうやらそれは日奈子も同じようで、両腕をだらっと垂らしてあごを卓上に乗せた状態で大きく溜め息をついている。
 ホント、転入早々こんなんじゃ先が思いやられるな……。
 そう思うと、何だか泣きたくなってくる。
 『男女比9対1』だという高校に実際来てみれば、待っていたのは『男女比1対9』という現実。
 しかも、いきなり登校中の事故について質問されるだなんて……。
 以前通っていた高校の方が、俺にとっては何倍も平和な環境だった気がする。
 ホントに……。

 俺の平和はどこいった!?



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